愛染明王 あいぜんみようおう 

愛染明王 あいぜんみようおう 悪魔・降伏のために、武器を持って立っている武の明王。 また、愛欲のけがれに染まる人問答を解説させる明王でもある この明王、もとはインドにおいて、愛をつかさどっていた神でしたが、のちに仏教の真言密教の神となった。梵…

  日本の神様 阿弥陀如来 あみだにょらい

日本の神様 阿弥陀如来 あみだにょらい 阿弥陀様の御本籍は、この土を離れること十万億土の極楽世界と名づけられている。 その極楽の国王がこの阿弥陀さまである。 阿弥陀さま 日本寄留地「本願寺」の御説によると、「極楽世界之教主」という称号があります…

日本の神様 阿難尊者 あなんそんじゃ

日本の神様 阿難尊者 あなんそんじゃ 僧で阿難か安珍さまか、俗で業平浦島太郎といわれる 眉目秀麗な青年貴公子がこの仏さま 阿難尊者。本名はアーナンダといって、釈迦牟尼仏の従弟に当たるというから、中インド、マカダ国の王族でした。 男がよくて、おま…

明治天皇御巡幸 白州町

交通の整備と明治天皇御巡幸 文明開花、殖産興業を目指す政府のもとで意欲的であった藤村県令は、道路整備にも積極的であった。着任して一年を経た明治七年(一八七四)一月の告示で「四方ノ声息通ジ難ク、民情随テ固廼ニ安ソジ物産工業為ニ興ラス」(山梨県政…

武川町 むかわまち 《「角川丹本地名大辞典」昭和59年刊より》

《「角川丹本地名大辞典」昭和59年刊より》 現況 〔成立〕昭和8年(1933)4月1日,新富村・武里村が合併して成立 〔面積〕60.24km筥 〔世帯〕942 〔人口〕3,441人 〔村の花〕キク 〔村の木〕マツ 〔村役場〕山梨県北巨摩郡武川村牧原931番地 〔村名の由来〕 大…

きたこまぐん すたまちょう・北巨摩郡須玉町(現北杜市)《『角川日本地名大辞典』昭和59年刊》

きたこまぐん すたまちょう・北巨摩郡須玉町(現北杜市)《『角川日本地名大辞典』昭和59年刊》 《現況》 〔成立〕昭和30年(1955)3月31日,若神子(わかみこ)村・穂足村・多麻村・津金村の4か村が合併して成立・ 〔面積〕174.18km 〔世帯〕2,368 〔人□〕7,…

白須(「角川日本姓氏大辞典19山梨県」)

白須(「角川日本姓氏大辞典19山梨県」) 白須しらす白洲・白数とも書く。 巨摩郡郡白須之郷(北杜市白州町)発祥の族は清和源氏義光流武田氏族という.『武田系図』に「甲斐守信長―信綱―時信-貞信(白須次郎)」とみえる。 『太平記』によれば観応3年(1352)3…

甲斐の行基伝説 甲斐 縄文時代最大級の天神堂遺跡

甲斐の行基伝説 (資料『郷土史事典』山梨県 手塚寿男氏著 1978) 一方、湖水の水をとりのぞいたのは、僧の行基であるという伝説もある。元正天皇の養老年間(七一七~二四)に行基が甲斐国に遊行したとき、南山を切りひらいて水を富士川に流したので、国…

なまよみの甲斐の夜明け

山あいの国 山梨県 (『郷土史事典』 風土と歴史と人 山梨県 手塚寿男氏著 1978) 山梨県は、背の甲斐一国をそのまま境域としてなりたっていて、甲斐の国名が峡に由来しているように、どちらをむいても山また山である。北部から東部へかけては関東山地で…

山梨歴史講座 国司等に発せられた令

山梨歴史講座 国司等に発せられた令 詔(みことのり)にみる国司の仕事 詔(みことのり)・他(『続日本紀』)宇治谷孟氏-現代語訳 1、文武天皇 文武天皇 二年( 698)三月 十日 《郡司の選考》 諸国の国司は、郡司の選考に偏頗があってはいけない。郡…

甲斐上代国政関係者一覧

甲斐上代国政関係者一覧 『甲斐国志』「姓氏部」 《註》年代順ではありません 「甲斐」を名乗っても山梨の出とは限らない。 九州宮崎にも「甲斐」を名乗る武将も鎌倉時の書に多々見える。 ◇甲斐前司家国(宗国) 建長、正嘉の引付番の内に見ゆ。 初甲斐国に…

甲斐上代国政関係者一覧 2

甲斐上代国政関係者一覧 2 ◇大井 巨摩都ノ郷名ナリ。山梨郡ニモ大井窪ト云処アリ。 大井郷ハ後ニ大井ノ圧トモ云。 宇治袷遺物語 甲斐国の相撲大井光遠はひざふとにいかめしく力つよく足はやくみめことからよりはいみじかりし相撲なり。それが妹に年廿六七ば…

信濃御牧及び貢馬 永仁三年(1295)~天正十六年(1588)

信濃御牧及び貢馬 永仁三年(1295)~天正十六年(1588) 信濃の貢馬を諸記録から抽出してみると、これまでに書されている内容より長い期間であったことが分かる。 信=信濃諸牧 霧=霧原御牧 望=望月御牧 新=新治御牧 穂=甲斐穂坂 真=甲斐真衣…

関東大震災記(山梨の記録一部掲載) 貴重な記録

関東大震災記(山梨の記録一部掲載) 貴重な記録 村松昌氏著『伊那』1985,6月号(一部加筆) 私は偶然、大正十二年九月一日、現在の太田区大森で和洋紙販売を営んでいた今村勝氏の妻が姉で、女中さんに行く娘を連れて自宅を午前四時頃出発した。堀割坂…

  甲斐古代が見える年表

甲斐古代が見える年表 甲斐を治めた官人と甲斐源氏&甲斐勅使牧 《註》参考資料、山梨県史他 …詳細は『国書』・『山梨県史』・『各市町村誌』の各編を参照… ○雄略13年(469)9月【『日本書記』】 …木工猪名部眞根の死罪を赦す勅使が甲斐の黒駒に騎り馳…

挑戦を攻めた日本 豊臣秀吉

甲府城2 甲府城1

〔芭蕉、水道工事関与・宗匠〕

〔芭蕉、水道工事関与・宗匠〕 芭蕉が江戸神田上水の工事に関係していたというのは、この頃から延宝八年までの四年問と思われる。一方既に俳諮の宗匠となっていたらしく、その披露の万句興行もし、延宝六年正月には、宗匠として歳且帳も出したらしい。延宝八…

〔芭蕉の生涯 芭蕉の生たち〕

〔芭蕉の生涯 芭蕉の生たち〕 芭蕉は寛永二十一年(1644)甲申の年に生れた。西鶴より二つ年下、近松より九才年長ということになる。もっとも、これは残年などから逆算して知り得ることで、したがって生れた月日はわからない。この年は十二月二十三日に改…

奈良田(現,早川町) 「奈良王の舊蹟」

奈良田(現,早川町) 「奈良王の舊蹟」 『甲斐国志』 巻之五十一 古蹟部第十四 本村は深山幽僻ニシテ種植に宜しからす、田租徭役免許の古印章等を蔵む。里人奇異を傳へて相誇る昔時某帝此所に遷幸あり。是を「奈良王」と称す。皇居たる故を以て十里四方萬世…

中村星湖(せいこ)略歴 

中村星湖(せいこ)略歴 明治十七年十二月十二日、南都留中村星湖(せいこ)略歴 明治十七年十二月十二日、南都留郡河口村(現河口湖災町河口)に生まれる。 本名将(まさ)為(ため) 河口小学校から県立甲府中学(現甲府第一高等学校)経て、早稲田大学文学部…

日本昔ばなし 雀(すずめ)と啄木鳥(きつつき) 

日本昔ばなし 雀(すずめ)と啄木鳥(きつつき) 柳田国男全集 大正元年版 一部加筆 むかしのむかし、雀(すずめ)と啄木鳥(きつつき)とは二人の姉妹であったそうです。 親が病気でもういけないという知らせの来た時に、 雀はちやうどお歯黒をつけかけてい…

歴史の中の子供たち 野上の浮浪児

歴史の中の子供たち 野上の浮浪児 『アサヒグラフに見る昭和の世相‐6』(朝日新聞社刊)から。 駅構内の鉄骨にもたれかかり、何かを見つめている少年。 右下には、「ボロをつけ、はだしとなり、 相当な垢をためた古参者の一種独特の顔付」 との説明がある。…

歴史の中の子供たち 若者宿

歴史の中の子供たち 若者宿 山ロ県玉江浦の若者宿で (民俗学研究所編『日本民俗図舗』朝日新聞社・1959年刊から) 夕食をすませた若者たちが、宿の前庭に集まっている。 いずれも揮姿の裸で、全身日焼けしてたくましい。 つい今しがたまで、めいめい家の仕…

歴史の中の子供たち

歴史の中の子供たち 茨城県石岡町・石岡製糸所(1891年創設 『画報日本近代の歴史』6(三省堂)から 製糸工場のなかで、多数の年若い工女たちが、忙しく働いている。 産業革命期、器械製糸といっても、繭から糸目を引きだしたり、 糸を巻糸枠につなぐなど主…

歴史の中の子供たち 最初の女子留学生

歴史の中の子供たち 最初の女子留学生 左から永井繁子・上田貞子・吉益亮子・津田梅子・山川捨松) 一八七一 (明治四)年十二月のこと、 岩倉具視を特命全権大使とする遣外使節団の一行を乗せた蒸汽船アメリカ丸が、 横浜港を出航した。この船には、五九名…

歴史のなかの子供たち ジャンケン 

歴史のなかの子供たち ジャンケン 夕暮れの戸外で、子どもたらが向きあって、じゃんけんに興している。 握った右手を、 チイ、リイ、サイ といいながら三度ふったあと指を開く。 五指を全部開けば紙、 親指と人さし指の二本を出すと鋏、 五指みな握れば石で…

歴史の中の子供たち いくさごっこ

歴史の中の子供たち いくさごっこ 『風俗画報』から 鎮守の境内で、子どちらが二手に分れて擬戦に興している。 旭日旗を手にした日本車が清国軍を撃ちまかして、 「敵兵」を捕虜にしたというのである。 流行の軍服を着た子もいる。 子どもの遊びには、時代の…

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愛染明王(あいぜんみょうおう)

愛染明王(あいぜんみょうおう) 悪魔降伏のために、武器を持って立っている武の明王。また、愛欲のけがれに染まる人間苦を解脱させる明王でもある この明王、もとはインドにおいて、愛をつかさどっていた神でしたが、のちに仏教の真言密教の神となった。梵…