中村星湖(せいこ)略歴 

中村星湖(せいこ)略歴  明治十七年十二月十二日、南都留中村星湖(せいこ)略歴  明治十七年十二月十二日、南都留郡河口村(現河口湖災町河口)に生まれる。  本名将(まさ)為(ため) 河口小学校から県立甲府中学(現甲府第一高等学校)経て、早稲田大学文学部英文科にすすみ、文学を学ぶ。大学在学中坪内逍遥島村抱月など自然主義文学の先駆者に師事し、明治三十九年夏、執筆した長編小説『少年行』が早稲田文学懸賞募集小説の一等に入選し、一躍文壇に名を成した。以後作家として各方面に活躍する一方外国文学の翻訳にも力を注ぎ。とりわけフロ-ベルの『ボヴァリー夫人」の和訳は、当時大きな注目を浴び、やがてフランス留学のきっかけともなった。  郷土での活躍は東京在住の県出身文化人を中心とする「山人会」の結成「富士五湖文化協会」の設立、山梨日日新聞のサンデー文壇の審査員、県芸術祭講師・など県内文化の発展に貢献する傍ら、地元河口湖町の耕地整理組合長・教育委員長行などにも押され、郷土文化の父として、昭和三十一年度、山梨県文化功労者の表彰を受け、昭和四十九年四月十三日、九十一歳の高齢で永眠した。 郡河口村(現河口湖災町河口)に生まれる。  本名将(まさ)為(ため) 河口小学校から県立甲府中学(現甲府第一高等学校)経て、早稲田大学文学部英文科にすすみ、文学を学ぶ。大学在学中坪内逍遥島村抱月など自然主義文学の先駆者に師事し、明治三十九年夏、執筆した長編小説『少年行』が早稲田文学懸賞募集小説の一等に入選し、一躍文壇に名を成した。以後作家として各方面に活躍する一方外国文学の翻訳にも力を注ぎ。とりわけフロ-ベルの『ボヴァリー夫人」の和訳は、当時大きな注目を浴び、やがてフランス留学のきっかけともなった。  郷土での活躍は東京在住の県出身文化人を中心とする「山人会」の結成「富士五湖文化協会」の設立、山梨日日新聞のサンデー文壇の審査員、県芸術祭講師・など県内文化の発展に貢献する傍ら、地元河口湖町の耕地整理組合長・教育委員長行などにも押され、郷土文化の父として、昭和三十一年度、山梨県文化功労者の表彰を受け、昭和四十九年四月十三日、九十一歳の高齢で永眠した。