2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

地蔵ヶ岳オベリスク(武川村誌掲載)昭和61年

神代桜 武川村誌(昭和61年)

武川村指定文化財 柳沢信尹娘奉納絵馬

武川村文化財 萬休院 龍虎の図双幅 狩野元信筆

武川村文化財 山高八左衛門の奉納矢額

武川衆起請文 (武川村誌)

武川地と水害 明治31年 昭和34年(武川村誌)

武川村役場 昭和36年建築(武川村誌)現在は無い

武川町 旧役場庁舎 武川小学校 昭和初期建築(武川村誌)

柳沢吉保公 画像 ()武川村誌)掲載 韮崎市指定文化財

武川町全 航空写真(武川村誌)

武川町 新奥 黒沢 新開地 下三吹航空写真(武川村誌)

武川町 山高 上三吹 航空写真(武川村誌)

神代桜を詠む「大桜集」編者 塚原幾秋 白州町下教来石の人

神代桜を詠む「大桜集」編者 塚原幾秋 白州町下教来石の人 「大桜集」明治十五年(一八八二)発行、編者は教来石の塚原幾秋である。「大桜」とは、本村山高の神代桜のことである。 実相寺の桜のもとに、芭蕉の句碑を建立した記念として刊行した。 芭蕉の句碑…

武川町、峡北地方の明治大正時代の俳諧人(武川村誌 昭和61年)

武川町、峡北地方の明治大正時代の俳諧人(武川村誌 昭和61年) 明治に入ると当然維新の変転があったであろうけれど、なお俳諧は流行を続けている。 明治の初年俳諧で峡北の天地に燦爛たる光彩を放った人たちは、 塚原幾秋、 塚原雲鳳、 石原嵩山、 小野松…

武川町の文人、小野松渓(武川村誌 昭和61年)

武川町の文人、小野松渓(武川村誌 昭和61年) 松渓は武川村三吹町人、号は月影舎、通称平右衛門武敬といい、文化十四丁丑年(一八一七)小野平五郎光治の長男として生まれた。 文久三年(一八六三)四十七歳のとき妻ますに先立たれ、若い頃から俳諧を能く…

武川町の文人、石原嵩山(武川村誌 昭和61年)

武川町の文人、石原嵩山(武川村誌 昭和61年) 「甲斐俳家人名録」慶応三年(一八六七)七月発行 石原嵩山 嵩山は寛政八丙辰年(一七九六)七月二十八日、山高村石原守敬の長男として生まれた。童名大治郎、善右衛門、太郎左衛門、善之進といい後に民部左…

武川町の俳諧の始まり山高幸燈宮の献吟 (武川村誌 昭和61年)

武川町の俳諧の始まり山高幸燈宮の献吟 (武川村誌 昭和61年) 山高幸燈宮の献吟の額 天保二年(一八三二)には嵩山、幾秋(白州町下教来石)、甫秋(白州町下教来石)、逸斗、嵩月等峡北俳人五六人が名を連ねている。 万延元年の「奉納御献吟、角觝発句合…

江戸時代の俳諧 芭蕉・素堂 総括(武川村誌 昭和61年)

江戸時代の俳諧 総括(武川村誌 昭和61年) 《松尾芭蕉》 俳諧が風雅のまことを責める文芸として、真の文芸性を持つようになったのは、俳聖松尾芭蕉の出現によるといわれている。 芭蕉の甲斐との関係は、天和二年(一六八二)十二月に深川の芭蕉庵を焼かれ…

武川町の現代短歌のはじめ 武藤亜山(『武川村誌』昭和61年 一部加筆)

武川町の現代短歌のはじめ 武藤亜山(『武川村誌』昭和61年 一部加筆) 武藤亜山は通称忠信といい明治二十三年三月十五日、本村下三吹二四一七番地に武藤代作の長男として生まれた。亜山は主として俳句を選科としたが、短歌もまたなかなかの達人であった。…

実相寺の神代桜にまつわる漢詩 石原嵩山 三首

実相寺の神代桜にまつわる漢詩 石原嵩山 三首 下し(『武川村誌』一部加筆) 桜三首 石原嵩山 (守政) 一 幽寺の一株、高きこと二ならず、年を経る幾万、更るがわる相驚く、 誰か知る、実相、真如の月、独り桜花に向かえば、枝頭清し。 二 日本に王と称す、…

武川町柳沢、使君田を詠った漢詩

武川町柳沢、使君田を詠った漢詩 使君田(字を町尻という、兵部丞の後、弥太郎と称する人の開きし田なりとぞ) 荻生徂徠(茂卿) 一片の石田、我が公を諳んず、雨時、歳々、流風を憶う、 当時、応に九推の地たるべし、厭わず、人の田舎翁と呼ぶを。

武川町柳沢、観花磯を詠った漢詩

武川町柳沢、観花磯を詠った漢詩 峡中詞藻詩賦篇(昭和三年九月廿日発行、原漢文) 観花磯(柳沢村の西北方に在り) 荻生徂徠(茂卿) 行くゆく峡口を過ぐれば、馬、飛ぶが如し、首を回らせば桃源、翠徴を隔つ、 黄髪、垂砦、今も尚お在り、依( さも)稀 ( に…

武川町柳沢、餓鬼嗌(がきののど)を詠った漢詩

武川町柳沢、餓鬼嗌(がきののど)を詠った漢詩 峡中詞藻詩賦篇(昭和三年九月廿日発行、原漢文) 物 茂卿(荻生徂徠) 陋俗、漫りに伝う、餓鬼嗌を、元来、天女の琵琶台ならん 渓声、長広舌は猶在り、誰か識る、妙音は是れ弁才なるを。 田 雪翁(田中省吾)…

実相寺の神代桜にまつわる漢詩 読み下し(『武川村誌』一部加筆)

実相寺の神代桜にまつわる漢詩 読み下し(『武川村誌』一部加筆) 峡中詞藻詩賦篇(昭和三年九月廿日発行、原漢文) 山高桜 富岡秋介(敏明) 古桜、播屈すること幾千年、板は九泉に到り、枝は天を顧う、 酔うて花陰に臥し、語を聴くを悦ぶ、前身は、我も亦…

武川町山高、実相寺の神代桜 碑文(石碑は建立されていない)

武川町山高、実相寺の神代桜 碑文(石碑は建立されていない) 甲州山高邑の桜樹の碑文(『武川村誌』一部加筆)未建設 峡の山高邑は一条氏の城址なり。 精舎有り、実相寺と曰う。 昔日蓮上人峡中を遊化し、法を説かるるの処なり。 南面に老桜有り、周囲七尋…

武川村山高 実相寺・神代桜の謂れ(『武川村誌』一部加筆)

実相寺・神代桜の謂れ(『武川村誌』一部加筆) 「山梨県名木誌」・「史伝と文学」(昭和六年) 伝へ言ふ、今より一千八百十余年前、景行天皇の皇子日本武専東夷征定の帰途此の地に駐まり紀念に此の桜を手植せらるると、其の後千数百年を経て日蓮上人此の地…

武川町、明治時代の和歌 野本央氏「百花園」所収

武川町、明治時代の和歌・漢詩 野本央氏「百花園」 明治三十一年(一八九八)甲府の佐野適正が編集発行したもので前輯上下・後輯上下 書画、俳語、和歌、漢詩を集録 武川村関係者の和歌(一部白州町)が次のとおり記されている。 駒城村 (柳沢)野本央 寄桜…

武川町、明治時代の和歌 「ももよぐさ」 実相寺住職 永田氏

武川町、明治時代の和歌・漢詩「ももよぐさ」 明治二十八年末三月(一八九五)発行 編輯者、兼画工上野一雲 編輯人、内藤帰山 本村実相寺住職 永田春蔭(四十二) たちよりて 見てこそゆかめふるさとの 膿がふせやの 夕かおの花 永田春蔭

神代桜『大桜集』 武川町、明治時代の和歌・漢詩 明治時代(『武川村誌』一部加筆)

神代桜『大桜集』 武川町、明治時代の和歌・漢詩 明治時代(『武川村誌』一部加筆) 明治十五年(一八八二)塚原幾秋(白州町下教来石の人)の発行したものである。この中に武藤保道の和歌と米倉瞭、野本馨、小沢又市の漢詩が掲載されている。 山高桜 武藤保…