武川町の現代短歌のはじめ 武藤亜山(『武川村誌』昭和61年 一部加筆)

武川町の現代短歌のはじめ 武藤亜山(『武川村誌』昭和61年 一部加筆)
 武藤亜山は通称忠信といい明治二十三年三月十五日、本村下三吹二四一七番地に武藤代作の長男として生まれた。亜山は主として俳句を選科としたが、短歌もまたなかなかの達人であった。
 昭和の初期広島県三原市に任したころ「詩のとも」という雑誌の創刊号に祝吟を詠じた。
   星一つ空に残りてさやかなる 朝風うれし秋のあけぼの
 また広島市東自白田町岡本明の主催する「言霊」会に所属していた。昭和十年前後には精力的に投稿したので其の一部を掲載しておきたい。
   この窓の茂りて空をうしないぬ 静かなる朝昼漠の花
   今年また花を持たざる葡萄より 虫菓の梢( ひぐらし)の鳴く
   ほうほけきよ薮の中にも日があるよ 釈迦の日近き梢の光り
   山の秀はたゞ常錆の七里岩 神代桜ねて居ても見ゆ
   八ケ嶽傾斜の裾に大泉 そのはてにまた小泉あるらし
   ワイシャツの胸もとかたく固めけり たにしに泥をはかしめており.
   軍歌溢る帝ならぬ世を秋来り ひしひしと寒さおもほゆるかも
   みんなみの国なる君の選ばれて 立ち征くすがた夜毎に思ほゆ
   
 亜山は幼い時母を亡くし、継母のもとで育てられたため詠歌の中にもしどこかに現れているところがある。また反面こっけいなるところも出ている。その時代における感情即ち喜怒哀楽などの気持、対象を意識して心の中に起こる主観的な精神活動が良く歌い込まれていてすばらしい。
 晩年は専ら俳詣をたのしみながら生涯を文芸にいそしみ昭和二十七年六十三歳をもってこの世を閉じたことはまことにおしい極みであった。