2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

各地に残る馬場美濃守の法名 山梨県北巨摩郡武川村万休院牌子

各地に残る馬場美濃守の法名 山梨県北巨摩郡武川村万休院牌子 万松院殿岳塔円大居士追諡

各地に残る馬場美濃守の法名 山梨県塩山市恵林寺墓碑

各地に残る馬場美濃守の法名 山梨県塩山市恵林寺墓碑 山梨県北巨摩郡高根町植松正邦家墓碑 秀體院傑山常雄大居士追諡

各地に残る馬場美濃守の法名 長野県上水内郡信州新町興禅寺過去帳 追諡か

各地に残る馬場美濃守の法名 長野県上水内郡信州新町興禅寺過去帳 追諡か 神峯院殿馬山遠場大居士 追諡

各地に残る馬場美濃守の法名 長野県上水内郡信州新町興禅寺位牌

各地に残る馬場美濃守の法名 長野県上水内郡信州新町興禅寺位牌 愛知県南設楽郡鳳来町医王寺位牌 天正鑑公大禅定門 追諡

各地に残る馬場美濃守の法名 甲府市平瀬太寧寺 (火災に遇い現在は『過去帳』『寺記』などは無い)

各地に残る馬場美濃守の法名 甲府市平瀬太寧寺 (火災に遇い現在は『過去帳』『寺記』などは無い) 乾叟自元大居士 追諡 …『甲斐寺記・神社記』

各地に残る馬場美濃守の法名 山梨県北巨摩郡白州町白須自元寺位牌 甲斐国志

各地に残る馬場美濃守の法名 山梨県北巨摩郡白州町白須自元寺位牌 甲斐国志 乾叟自元居士 家臣原四郎承遺言携遺物遺骨等来於白須村自元寺法事相勤御墓石塔立来

各地に残る馬場美濃守の法名『馬場信寿家家系書』

各地に残る馬場美濃守の法名『馬場信寿家家系書』 信興…信房の孫、長篠で討死、法号 乾叟自元 小田切氏は馬場彦左衛門の家系にも見える。 『寛政重修諸家譜』によれば氏勝(信房)の妻は小田切下野守某が女で、氏勝の子昌松(まさしげ)は外祖小田切下野守某…

各地に残る馬場美濃守の法名 甲斐甲府の馬場信寿家系書に馬場美濃守の子に

各地に残る馬場美濃守の法名 甲斐甲府の馬場信寿家系書に馬場美濃守の子に 長男…信忠-信次(丑之助/甲府平瀬の太寧寺の再開基をした人物) 末男…昌松(小田切又三郎)又三郎は祖父の小田切下野守家を相続する。

各地に残る馬場美濃守の法名

各地に残る馬場美濃守の法名 各地に残る馬場美濃守の法名 高野山位牌 甲州府中馬場美濃守大□ノ為ニ小田切又三郎建立之 (参考 小田切又三郎について天正三年乙亥五月廿一日死去 天正四年丙子十月十八日 各地に残る馬場美濃守の法名 信翁乾忠居士 霊位 甲府古…

馬場美濃守と『参州長篠戦記』

馬場美濃守と『参州長篠戦記』 長篠の戦いの戦死者…馬場彦五郎勝行(馬場美濃守の叔父) 『甲府市史』 五月二十一日三州長篠討死 (馬場)伊豆(守)二子 馬場美濃守信房 六十二歳。

馬場美濃守と『自元寺由緒書』末尾

馬場美濃守と『自元寺由緒書』末尾 享保十二年(1727)江戸大塚住旗本馬場喜八郎殿ヨリ被来享保十二年ノ冬御位牌修理補成リ越方金一歩書状等御差添向陽院古同ト申僧ノ状相添被越候此方ヨリ返事礼状仕候喜八郎殿知行四百石余自元寺住職恵光代。 馬場美濃…

馬場美濃守と『馬場祖三郎家由緒書(自元寺馬場美濃守横に墓所がある)』

馬場美濃守と『馬場祖三郎家由緒書(自元寺馬場美濃守横に墓所がある)』 開基馬場美濃守源公 法号 乾叟自元居士 公七世外孫出家得法同牛込御龍山松原禅寺向陽院惟庸字古同敬書 信州槙嶋城主甲国武田旧臣新羅后胤馬場美濃守源公諱信房 始称敬禮師民部少輔諱…

馬場美濃守公と『巨摩郡北山筋吉沢村太寧寺由緒書』

馬場美濃守公と『巨摩郡北山筋吉沢村太寧寺由緒書』 再開基 武田信玄之将士馬場美濃守、法号 乾叟自元大居士ニ御座候… …『甲斐 寺記・神社記』 『馬場彦左衛門家記』 馬場美濃守ノ孫同民部ノ男丑之介壬午ノ乱ヲ避ケ其母ト倶ニ北山筋平瀬村ニ匿ル。 後本村ニ…

馬場美濃守公と「白州町台ケ原 田中神社馬場八幡社記」

馬場美濃守公と「白州町台ケ原 田中神社馬場八幡社記」 美濃守信房ノ鎮守ナリ。采地ノ節此社地ノ西ニ居住ス。円中手裁ノ桜同松今朽。信房長篠ノ役自殺ノ遺骸ハ其臣某齎シ来リテ居址或ハ此八幡祠ノ側ニ埋葬セシトソ申伝候。 社地…竪二十四間、横十間(二百四…

柳沢吉保、甲斐領主に

柳沢吉保、甲斐領主に 綱吉は吉保の功に酬いるため、三万九、二〇〇石余を加増して一五万一、二〇〇石余とし、甲府は枢要の地政、容易に与える地ではないが、格別をもって甲府に封ずることとした。 宝永二年一月二十一日吉保を召した綱吉は、 書宗年頃の勤労…

柳沢吉保、川越藩主となり、老中格、大老となる。元禄七年

柳沢吉保、川越藩主となり、老中格、大老となる。元禄七年 元禄五年十一月、吉保は摂・河・泉三国と武蔵の内で三万石加増され、 元禄七年正月七日さらに一万石加増があって、合計七万二、〇三〇石となり、武蔵川越の藩主を命ぜられた。 元禄年十二月老中格に…

◇柳沢吉保、側用人・若年寄・大名となる。貞享四年 父安忠没

◇柳沢吉保、側用人・若年寄・大名となる。貞享四年 父安忠没 貞享四年九月十七日、父安忠が没した。綱吉は上使を遣わし、香莫三〇〇両を霊前に供えさせた。元禄元年十一月、 庶事の掛(側用人)を命ぜられ、席を若年寄上座とされた。 庶事の掛とは側用人のこ…

◇柳沢吉保、従五位下出羽守に叙任、貞享二年

◇柳沢吉保、従五位下出羽守に叙任、貞享二年 貞享元年に二〇〇石を加増されて一、〇三〇石、その翌年には従五位下出羽守に叙任、三年に上総国の内で一、〇〇〇石加増、高二、〇三〇石となった。

◇柳沢吉保小納戸となる。延宝八年

◇柳沢吉保小納戸となる。延宝八年 吉保、小納戸となる。小納戸というのは、若年寄の支配に属して膳番・庭番・馬方・鷹方・髪月代など、将軍の身辺に侍して雑用を担当する役目で、定員一〇〇名、高五〇〇石であった。この役目の者は将軍の側近に侍るので、才…

【『楽只堂年録』にみる柳沢吉保像 誤解されている吉保】

【『楽只堂年録』にみる柳沢吉保像 誤解されている吉保】 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 吉保が、常に修養に努めたことは、その例に乏しくないが、ここに彼の伝記ともいうべき『楽只堂年録』 の一、二節を…

柳沢吉保の修養 徳川綱吉との関係

柳沢吉保の修養 徳川綱吉との関係 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 吉保は万治元戊成年の生まれで、綱吉は正保三丙戌年の生まれ。一二歳離れるがともに戌年生である。相性が合ったというのであろう。綱吉の学…

柳沢美濃守吉保は、甲斐常光寺を崇敬

柳沢美濃守吉保は、甲斐常光寺を崇敬 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 吉保が、常光寺を崇敬するのは、この寺が青木家の菩提所だからである。というのは、吉保の祖父柳沢兵部孟信俊は、武川衆の旗頭青木尾張…

柳沢美濃守吉保の信仰

柳沢美濃守吉保の信仰 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 延宝五年、嫡母青木氏を喪った吉保は、人生、生死ということを深刻に考えるに至った。そこで、江戸小日向の臨済宗妙心寺派竜興寺の住持、竺道祖梵に参…

柳沢美濃守吉保 家督をつぐ 母の看病

柳沢美濃守吉保 家督をつぐ 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 【綱吉との出会い】 吉保は、前記のような事情から、生母とは乳児の時期に別れ、摘母音末氏に育てられた。やがて七歳を迎えた寛文四年十二月十八…

柳沢美濃守吉保 生誕環境<柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)>

柳沢美濃守吉保 生誕環境<柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)> 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 柳沢家は、信俊以来、徳川家の信任を受け、信俊の次男安忠が父信俊に劣らない才能をもっ…

柳沢刑部左衛門尉安忠 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)

柳沢刑部左衛門尉安忠 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 安忠は兵部丞信俊の次男で、慶長七年、父の采地武蔵国鉢形領今市村で生まれた。初名を長蔵といい、元服して十右衛門尉信時、さらに刑部左衛門尉安吾と改めた。刑部の名は祖先新羅…

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)『寛政重修諸家譜』

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)『寛政重修諸家譜』 (この項は正規の歴史書には見えない記載も含まれている) 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】 武田信玄および勝頼に仕え、元亀元年正月実兄横手監物信国、駿河国花沢城を攻めた時戦…

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】 信俊は、武州衆の中での実力者青木尾張守信立(信親とも)の三男であるが、実兄で武川衆横手家(現白州町横手)嗣いだ監物信国が、元亀元年正月駿河国花沢の妓攻めに…

【柳沢壱岐守信勝 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】

【柳沢壱岐守信勝 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】 信興が柳沢寺に六地葺石瞳を寄進した年から七十余年を経た永禄十年八月七日、武田信玄麾下の武士たちは信州小県郡塩田下之郷、諏訪明神社前において、信玄に対し六か条の起請文を捧…

【甲府市一蓮寺に所蔵される『一連寺過去帳』による柳沢氏 柳沢弥十郎信興】

【甲府市一蓮寺に所蔵される『一連寺過去帳』による柳沢氏 柳沢弥十郎信興】 甲府市一蓮寺に所蔵される『一連寺過去帳』は、中世の甲斐における第一級の史料であって、南北朝期から江戸初期にわたっている。 この過去帳に、永享五年(一四三三)四月二十九日…