◇柳沢吉保小納戸となる。延宝八年

柳沢吉保小納戸となる。延宝八年
 吉保、小納戸となる。小納戸というのは、若年寄の支配に属して膳番・庭番・馬方・鷹方・髪月代など、将軍の身辺に侍して雑用を担当する役目で、定員一〇〇名、高五〇〇石であった。この役目の者は将軍の側近に侍るので、才能によっては異数の出世をする場合がある。
 吉保は延宝八年に綱吉が将軍職についたとき小納戸を命ぜられ、天和元年四月布衣を着ることを許され、三〇〇石の加増があった。この時、従来の産米三七〇俵を采地(石高)に改め、上総国山辺郡の内ですべて八三〇石を知行した。小納戸としての吉保の精勤ぶりと、聡明さを知った綱吉は、吉保に学問上の門人となるよう命じた。