武川町ガイド

◇柳沢吉保、従五位下出羽守に叙任、貞享二年

◇柳沢吉保、従五位下出羽守に叙任、貞享二年 貞享元年に二〇〇石を加増されて一、〇三〇石、その翌年には従五位下出羽守に叙任、三年に上総国の内で一、〇〇〇石加増、高二、〇三〇石となった。

◇柳沢吉保小納戸となる。延宝八年

◇柳沢吉保小納戸となる。延宝八年 吉保、小納戸となる。小納戸というのは、若年寄の支配に属して膳番・庭番・馬方・鷹方・髪月代など、将軍の身辺に侍して雑用を担当する役目で、定員一〇〇名、高五〇〇石であった。この役目の者は将軍の側近に侍るので、才…

【『楽只堂年録』にみる柳沢吉保像 誤解されている吉保】

【『楽只堂年録』にみる柳沢吉保像 誤解されている吉保】 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 吉保が、常に修養に努めたことは、その例に乏しくないが、ここに彼の伝記ともいうべき『楽只堂年録』 の一、二節を…

柳沢吉保の修養 徳川綱吉との関係

柳沢吉保の修養 徳川綱吉との関係 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 吉保は万治元戊成年の生まれで、綱吉は正保三丙戌年の生まれ。一二歳離れるがともに戌年生である。相性が合ったというのであろう。綱吉の学…

柳沢美濃守吉保は、甲斐常光寺を崇敬

柳沢美濃守吉保は、甲斐常光寺を崇敬 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 吉保が、常光寺を崇敬するのは、この寺が青木家の菩提所だからである。というのは、吉保の祖父柳沢兵部孟信俊は、武川衆の旗頭青木尾張…

柳沢美濃守吉保の信仰

柳沢美濃守吉保の信仰 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 延宝五年、嫡母青木氏を喪った吉保は、人生、生死ということを深刻に考えるに至った。そこで、江戸小日向の臨済宗妙心寺派竜興寺の住持、竺道祖梵に参…

柳沢美濃守吉保 家督をつぐ 母の看病

柳沢美濃守吉保 家督をつぐ 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 【綱吉との出会い】 吉保は、前記のような事情から、生母とは乳児の時期に別れ、摘母音末氏に育てられた。やがて七歳を迎えた寛文四年十二月十八…

柳沢美濃守吉保 生誕環境<柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)>

柳沢美濃守吉保 生誕環境<柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)> 柳沢美濃守吉保の生涯 出生柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 柳沢家は、信俊以来、徳川家の信任を受け、信俊の次男安忠が父信俊に劣らない才能をもっ…

柳沢刑部左衛門尉安忠 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)

柳沢刑部左衛門尉安忠 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 安忠は兵部丞信俊の次男で、慶長七年、父の采地武蔵国鉢形領今市村で生まれた。初名を長蔵といい、元服して十右衛門尉信時、さらに刑部左衛門尉安吾と改めた。刑部の名は祖先新羅…

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)『寛政重修諸家譜』

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)『寛政重修諸家譜』 (この項は正規の歴史書には見えない記載も含まれている) 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】 武田信玄および勝頼に仕え、元亀元年正月実兄横手監物信国、駿河国花沢城を攻めた時戦…

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】

【柳沢兵部丞信俊(吉保の祖父)柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】 信俊は、武州衆の中での実力者青木尾張守信立(信親とも)の三男であるが、実兄で武川衆横手家(現白州町横手)嗣いだ監物信国が、元亀元年正月駿河国花沢の妓攻めに…

【柳沢壱岐守信勝 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】

【柳沢壱岐守信勝 柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)】 信興が柳沢寺に六地葺石瞳を寄進した年から七十余年を経た永禄十年八月七日、武田信玄麾下の武士たちは信州小県郡塩田下之郷、諏訪明神社前において、信玄に対し六か条の起請文を捧…

【甲府市一蓮寺に所蔵される『一連寺過去帳』による柳沢氏 柳沢弥十郎信興】

【甲府市一蓮寺に所蔵される『一連寺過去帳』による柳沢氏 柳沢弥十郎信興】 甲府市一蓮寺に所蔵される『一連寺過去帳』は、中世の甲斐における第一級の史料であって、南北朝期から江戸初期にわたっている。 この過去帳に、永享五年(一四三三)四月二十九日…

柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆)

柳沢氏の発祥 柳沢吉保の系譜(『武川村誌』一部加筆) 【柳沢氏・柳沢家の発祥『寛政重修諸家譜』】 柳沢氏は、鎌倉末期の甲斐守護一条時信の六男、青木十郎時光を祖とする家で、『寛政重修諸家譜』所収「青木家譜」に、時光の六世尾張守安遠の次男弥十郎信…

慶長12年(1607)甲府城番武川十二騎(『武川村誌』)

慶長12年(1607) 甲府城番武川十二騎(『武川村誌』) 山高孫兵衛親重 馬場民部信成 青木与兵衛信安 米倉丹後守信継 知見寺越前守盛之 折井仁左衛門次吉 入戸野又兵衛門光 山寺甚左衛門信光 柳沢三左衛門 曲渕筑後守吉清 小尾彦左衛門重正 跡部十郎左…

武川衆御重恩の覚え(『柳沢氏の研究』)慶長9年(1604)

慶長9年(1604) 武川衆御重恩の覚え(『柳沢氏の研究』) 百二十石 柳沢兵部丞信俊 百十八石八斗 伊藤三右衛門尉重次 八十石 曲渕勝左衛門尉正吉 五十六石四斗弐升 曽根孫作 八十六石 曽雌民部定政 六十石 折井九郎三郎次吉 九十石 折井長治郎次正 百…

武川衆二十四士重恩之惣目録

武川衆二十四士重恩之惣目録 〔武川衆…『武川村誌』「資料編」第一章 中世〕 天正十八年(1590) 正月二十七日 馬場勘五郎 曲渕玄長 青木尾張守 青木弥三左衛門 横田源七郎 米倉左大夫 米倉彦次郎 米倉加左衛門 米倉彦大夫 曲渕庄左衛門 曲渕助之丞 折井…

甲斐と武川衆 天正11年(1583)12・13・14・15・16・17・17・18年

天正11年(1583) 3月28日 徳川家康,甲府に在り,諏訪頼忠に信濃諏訪郡を与える〔家康公伝〕 4月1日 徳川家康,市川紙工の諸役を免除〔国志〕 4月18日 ~20、徳川家康,甲斐国内の寺社の多<に寺社債を安堵〔家康公伝〕 5月9日 徳川家康,…

武川衆の動き天正十年6月6日家康の配下に

6月6日 徳川家康,武田旧臣岡部正絹に命じ,巨摩郡下山城を築かせる〔家康公示〕 6月15日 甲斐国領主利尻肥後守秀隆,国人一揆に撃殺される〔国志〕 北条氏政,渡辺庄左衛門に命じて郡内に進入させる〔家康公伝〕 6月20日 徳川家康の臣大須賀康高,…

本能寺の変 その時家康は、武川衆は

本能寺の変 6月2日 信長の死。本能寺の変、一日の酉刻に明智光秀・織田七兵衛(信澄)により信長が討たれた 6月2日 明智光秀、京都本能寺に於いて織田信長を襲撃。〔信長公記〕 【家康の動き】 家忠は家康が伊賀・伊勢を通り、大浜(愛知県碧南市)に上…

勝頼の首級、甲府へ その時信長は、家康は、武川衆は

勝頼の首級、甲府へ ◇信長 勝頼の首は直ちに信長の本営に送られる 3月13日 松平家忠、穴山信君へ人馬を返還。〔家忠日記〕 3月14日 織田信長、信濃国伊那郡波合に着陣。 松平家忠、甲斐国甲府善光寺を見物。〔家忠日記〕 家忠、善光寺を見学する〔家忠…

〔武田滅亡〕その時武川衆の動きは

〔武田滅亡〕 3月11日 徳川家康・穴山信君、甲斐国甲府の織田信忠を訪問。 武田勝頼・武田信勝、天目山の戦で織田軍に敗北。田野に於いて一族・郎党と共に自刃。長坂光堅らも殉ず。 武田勝頼、甲斐国天目山にて敗北・自刃。〔理慶尼記〕 信濃国高遠城以下…

天正10年(1582)

天正10年(1582) 1月1日 松平家忠、遠江国牧野原城で越年する〔家忠日記〕 1月7日 松平家忠、遠江国牧野原城の定番を戸田氏と交替する〔家忠日記〕 1月16日 松平家忠の長男(後の松平忠利)、誕生する。〔家忠日記〕 1月25日 信濃木曽義昌…

その時武川衆は天正9年(1581)

天正9年(1581) これより先、二月以来昼夜兼行 の突貫工事により韮崎新府中城の工が漸く進捗し、9月末日に竣工の旨を盟邦に披露したが、この日、常陸佐竹氏の将梶原政景がこれを安房の里見氏に報ずる(武州文書) 1月1日 松平家忠、遠江国高天神城攻…

馬場美濃守信房  三省録(志賀 忍) 馬場美濃守信房  柳庵随筆(栗原信充)

馬場美濃守信房 三省録(志賀 忍) 甲州の武田信玄の家老の中にて、馬場美濃と申たる侍は、戦場常存と申四字を書き、壁に懸置て、平生の受用と仕るよし申し傳ふるところなり。初心の武士心得のため仍如レ件。 (武道初心抄』) 馬場美濃守信房 柳庵随筆(栗原…

新羅明神《新羅三郎義光が元服した場所》   兎園小説(瀧澤馬琴)

新羅明神《新羅三郎義光が元服した場所》 兎園小説(瀧澤馬琴) 新羅明神は三井寺北院現在谷に鎮座也。祭神は素盞鳴命(須佐之男命)也。此神五十猛神を師て新羅国に至り、智證大師唐土より帰朝の時、船中の佛經を擁護して日本に帰り給ふに依て、新羅明神と…

曲淵勝左衛門由緒書   半日閑話(大田覃)

曲淵勝左衛門由緒書 半日閑話(大田覃) 高祖父勝左衛門吉景、武田信虎より勝頼迄奉公仕、甲州武川と申す谷へ住居す。天正十年勝頼生害後、先方侍扶助信長停止に候共、神君武川之者共一同に御扶助被レ下、忍て遠州相良辺に罷座候處、同年六月信長生害有レ之、…

武川次衆事

武川次衆事 曽雌藤助 米倉加左衛門尉 入戸野又兵衛 秋山但馬守 秋山内匠助 秋山織部佐 秋山宮内助 功刀彌右衛門尉 戸島藤十郎 小澤善太夫 小澤甚五兵衛 小澤縫右衛門 小尾與左衛門 金丸善右衛門 金丸新三 伊藤新五 海瀬覚兵衛 樋口佐太夫 若尾木工佐衛門 山…

武川衆文書   一話一言(大田南畝)

武川衆文書 一話一言(大田南畝) 急度申入候仍此已然の御役様には壹萬石に鑓百本被仰付候へ共向後之義は壹萬石に鑓五拾本相残五拾本之代に鉄砲貳拾挺可持之旨 上意候右之外は最前被仰遣之通相違無御座候恐々謹言 三月廿三日 安藤対馬守 重信判 酒井備前守 …

入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町)追記 鳳凰山名錯綜の中における本村文献(寛延三年山論)の意義

入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町)追記 鳳凰山名錯綜の中における本村文献(寛延三年山論)の意義 山地と山麓住民との関わりについては前述の入会と山論で見てきた。しかもそれはそれぞれの時代の杜会的背景により、その関わり方に違いがあることも…