勝頼の首級、甲府へ その時信長は、家康は、武川衆は

勝頼の首級、甲府
◇信長
勝頼の首は直ちに信長の本営に送られる
3月13日
 松平家忠穴山信君へ人馬を返還。〔家忠日記
3月14日
 織田信長信濃国伊那郡波合に着陣。
 家忠、善光寺を見学する〔家忠日記
3月16日
織田信長のもとへ武田勝頼武田信勝武田信豊の首級が到来した
3月17日
 徳川家康信濃国諏訪に織田信長を訪問し対面。
3月20日
 織田信長信濃国上諏訪に於いて木曽義昌穴山信君・小笠原信嶺らを謁す。
3月22日
 甲斐国より武田勝頼武田信勝武田信豊の首級が上洛。
 京都に於いて3つの首級が「獄門」に架けられた。〔言経卿記〕
3月22日
 山科言経、武田勝頼武田信勝武田信豊の首級が近日中に播磨国へ送付され梟首されることを知る。〔言経卿記〕
勧修寺晴豊、この日の「八時」に去る3月11日に討ち取られた武田勝頼)・武田信勝武田信豊の3首を見物す。武田信豊の首は落ちてしまった。〔晴豊記〕
3月23日
 多聞院英俊、織田軍が甲斐国を「悉落居」させたことを知る。
 多聞院英俊、去3月22日夕方に武田勝頼武田信勝武田信豊の3首級が京都に到着し、3日間梟首された後に播磨国へ送付されることを知る。〔多聞院日記〕
 松平家忠遠江国本栖に出向く。〔家忠日記
 穴山信君甲斐国市川へ帰還。
3月25日
 松平家忠遠江国本栖で御茶屋の造作普請を開始。〔家忠日記
3月29日
 織田信長甲斐武田氏討伐が完遂し知行割の覚を発す。
 河尻秀隆、穴山信君の本知を除外した甲斐国および信濃国諏訪を拝領す。
 徳川家康駿河国を拝領す。
 滝川一益上野国および信濃国小県郡・佐久郡を拝領す。
 森長可信濃国高井郡・水内郡・更科郡・埴科郡を拝領す。
 木曽義昌信濃国木曽谷および安曇郡・筑摩郡を拝領す。
 毛利秀頼、信濃国伊那郡を拝領す。〔信長記
3月23日
 家忠、本栖へ行き、25日から小屋づくりをする〔家忠日記
3月29日
 織田信長甲斐国領主に河尻秀隆を封じ,河内領はのぞき,かわりに諏訪郡を与える
織田信長穴山信君の本領河内領を安堵〔国志〕
3月 
 一条館落成
4月2日
 織田信長、諏訪より台ケ原に陣を移す〔信長公記
4月3日
 織田信長,台が原より新府城の灰跡を視察,甲府に着く〔信長公記
織田信忠武田信玄旧館に仮御殿を普請し信長を迎える〔信長公記
織田信忠、命じて,恵林寺を焼きうち,恵林寺快川・東光寺藍田ら長老11人,寺中老若ら150人余焼死,佐々木次郎を隠し置<罪による〔信長公記
4月10日
 織田信長甲府を出発し右左口宿に着陣,徳川家康が普請・警護し,10日出発して駿河に向かう〔信長公記
5月15日
家康は一五日に安土に到着し、信長から早速振舞を受けた
5月18日
 家忠は安土の家康へ音信のために飛脚を遣わして、家康の機嫌をうかがった
5月18日
 信長、自ら家康の膳を据える