2015-01-01から1年間の記事一覧
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この時期しか見れない
龍華山草創之事 『兜嵓雑記』「とんがざっき」 柳沢吉保を豊臣秀吉に例える 吉保の事 抑此龍華山と申寺は、故美濃守吉保殿御願として、山梨郡岩窪村(現甲府市)に一字を御建立有り、則寺号龍華山永慶寺と號す、山城国字治の里黄檗山萬福寺之千住悦峯禅師を…
❖ 柳沢父子 『甲州風土記』掲載記事 上野晴朗氏著 昭和42年刊 NHK甲府放送局 一部加筆 宝永元年(一七〇四)甲府宰相網豊は、五代将軍綱吉の嗣子となって幕府にはいった。 その後に甲斐を受封したのが柳沢吉保である。特筆すべきことは、それまで御料所…
甲陽柳秘録(柳沢吉保公資料)一部加筆 一 柳澤氏は甲州武門之連名にして甲斐漁氏之庶流也、其始め新羅三郎義光甲斐守に任せしより以来、子孫甲斐国に多し、義光之二男刑部三郎(武田冠者甲斐守)其の子黒源太清光甲斐守、其の子武田太郎信義甲斐守、武田五…
柳沢備後守信尹(父ハ孫之丞、信尹は初め八郎左衛門と云う。 御目付を勤め九百石 「補任」に曰く 宝永七閏八月十一日、任豊後守 宝永八年四月十二日之を改める、 【参考資料】柳沢 信尹(やなぎさわ のぶただ) Wikipedia 一部加筆 養子 旗本山高信吉(武川…
柳澤氏郡山城請け取り 『ふるさと大和郡山歴史辞典』一部加筆 享保九年(一七二四)三月十一日、甲府城主柳澤吉里は、「禁裡守護」(京都皇居)を兼ねる大任の地であるとして、郡山城へ国替の命をうけた。さきの郡山城主本多氏に後嗣が無いので本多家は断絶…
『柳沢吉保公一代記』(仮称) 文昭公記 宝永六年六月三日、甲府の城主松平美濃守吉保隠居す、子吉里継ぐ(十五万千二百八十八石、二男経隆、三男時睦に、各一万石の地を分つ)。 柳沢吉保は、甲斐の武田の支流にて、柳沢兵部丞信俊が孫なり。信俊が二男を、…