2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧
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台ケ原宿 「白州町誌」第六節街道と村(伝馬宿と助郷)より 徳川氏が政権を掌握すると、江戸を中心に五街道を制定し宿駅を設けた。宿場は本来、公用の旅行者の貨客の輸送を円滑にすることを目的としていたが、もちろん一般旅行者も利用した。公用の旅行者と…
白州町の著名人「南十字星の下に」故古屋五郎氏著(町長歴任) まえがき ◇本書は、昭和二十七年七月未から、翌二十八年一月まで、約半歳にわたり、当時私の経営発行していた山梨毎日新聞に連載、異常の反響を呼んだ“南九陸軍病院事件の真相"である。驚くべき…
○白州町 よこて・横手(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南東部。北境を尾白川が東流する。東と西に山地を配する盆地状地形に位置する。集落の中心を県道駒ケ岳公園線が縦貫し、県道横手日野春停車場線が東へ分岐する。韮崎市(祖母万経由)へ…
○白州町 はなみず・花水(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南西部。南境に釜無川が流れる。七里岩崖下に位置する。公民館花水分館・曹洞宗清泰寺・大官神社・白山神社があり、清泰寺には県天然記念物のカヤ,町文化財の六地蔵塔,元禄15年銘の…
○白州町 とりはら・鳥原(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北部。北境の流川、南境の神宮川がそれぞれ東端を流れる釜無川に東流し,西部は駒ケ岳山麓で山林、東部は水田・畑作地。山麓緩斜面。集落は釜無川に沿う東端にあり,国道20号が縦断し,…
○白州町 だいぼう・大坊(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南西部。南東は大武川を境に武川村に接する。駒ケ岳山麓。集落の中央を県道駒ケ岳公園線が走る。町民俗芸能の馬八節また、公民館大坊分館・日蓮宗法輪寺・諏訪神社がある。産物は米。
○白州町 だいがはら・台ケ原(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南東部。北を流れる釜無川に,南境の尾白川が合流し,両川の間に集落がある。尾白川に沿って国道20号が走り。韮崎市へのバス便は1日15回。県道台ケ原長坂線と県道台ケ原富岡線が国…
○白州町 しらす・白須(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南部。北境を神宮川,南境を尾白川が東流し、東端を流れる釜無川に注ぐ。隆起扇状地。西部は駒ケ岳支峰に続く山麓斜面,東部は水田・畑作地。集落は東端に集中し,国道20号が走り,韮崎市…
○白州町 しもきょうらいし・下教来石(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北部。北境を加久保沢川、南境を流川が東端の釜無川に東流する。これら河川のつくった隆起扇状地上に位置し西部は桑園,東部は水田・畑作地。集落は東端にあり,集落の中…
○白州町 かみきょうらいし・上教来石(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北部。南境を加久保沢川が東流し,東端の釜無川に合流する。北境に接する長野県富士見町と結ぶ国界橋が架かる。集落は段丘上、西方から釜無川に流下する河川の周辺に点在…
○白州町 おおむかわ・大武川(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北端。北から東にかけて流下する釜無川を境に長野県富士見町に接し、集落は同川右岸に立地する。東部は山林、西部は水田・畑作地。町天然記念物のトチの木がある諏訪神社や塩沢…
白州町の産業 (昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 当町の生産基盤は農業であり、耕地の割合は水田58%、畑42%となっており、生産は稲作が首位を占め,次いで果樹(ブドウ・モモ),畜産(肉牛)などのほか養蚕その他となっている。 昭和34年2度の台風災…
〔白州町の近現代〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 行政区画の変遷当町域の村々は、明治元年甲府県、甲斐府、翌2年甲府県の管轄を経て同4年山梨県下となる。 同7年駒城村(大坊新田・横手の2か村とほか1か村), 同8年鳳来村(上教来石・下教来石…
〔白州町の近世〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 江戸期の村々天正17年(1589)の関東総検地に際し,甲斐国の検地は伊奈忠次が行い、慶長年間(1596~1615)には大久保長安を検地奉行とする慶長検地が行われた。当町域の江戸期の村々は、巨摩郡武川…