2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧
〔白州町 白須の松原〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 鎌倉期の史料は乏しく詳細は不明であるが,当町内を鎌倉往還が通り,武川衆の祖一条源八時信が次男貞信を白須に封じたといわれている。白須から北西に釜無川沿いに続く白須の松原は、南北朝…
白州町の古代・中世〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 真衣野牧古代律令制下における当町域は,巨麻郡に属し,牧の原(武川村)付近から当町にかけては真衣郷に比定される。当郷は平安期御牧の1つ真衣野牧として,甲斐国における重要な馬産地であっ…
〔白州町の沿革〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 釜無川右岸台地の遺跡釜無川右岸の標高600~700mを中心とした段丘および緩やかな傾斜の台地上に多くの遺跡が残されている。台ケ原の中台遺跡,白須の大久保遺跡や竹宇一帯,鳥原地区などは,縄文…
〔白州町の立地〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 南アルプス東麓の町県の北西端に位置し,甲府の北西約30kmにあたる。東は釜無川を境に小淵沢町・長坂町,南は大武川を境に武川村・中巨摩郡芦安村,西および北は長野県諏訪郡富士見町・上伊那郡長…
〔白州町名の由来〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町域を流れる大小河川から流出した白砂が形成した白州による。
はくしゅうまち・白州町 (昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 〔成立〕 昭和30年(1955)7月1日,鳳来・菅原の2か村と、駒城村の横手・大坊地区、長坂町の一部が分離合併して成立 〔面積〕 137,56km 〔世帯〕 1,264 〔人口〕 4,391人 〔町の木〕 アカ…
釜無川(かまなしがわ)(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 富士川上流部を呼称する。甲斐駒ケ岳の付近に発源して、北東に流れる。長野県富士見以東ではほとんど糸魚川一静岡構造線に沿って流向を南東に転じ、大小の支流を合して南流し、甲府盆地にはいっ…
「甲斐国志」(かいこくし)71巻。甲斐(かい〕 松平定能編集。1814(文化11〕牢11月成立。(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 江戸幕府の甲府勤番支配であった松平伊予守定能が、幕府の内命を受けて、1806(文化3)年に編集にかかり、同11年に完成した甲斐の…
甲斐源氏(かいげんじ〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 清和天皇(850-880年〕を祖とする清和源氏の一流。新羅三郎源義光から出る。義光が甲斐守に任ぜられ、若神子の館に住んだというが未詳(筆註—これは不可能)。 義光の子義清は12世紀の初めころ市…
《甲斐の国庁・国政》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 8世紀以後の幹線は御坂路に移っていった。主として金川流域に甲斐国造の伝説と国庁、古代の郷が集中してくるのもその間の経緯を示している。8世紀の初頭701(文武天皇大宝1〕年に大室…
《山梨の古道》《山梨の国名》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 山梨県の古い国名。甲斐という文字は「古事記」日本書紀」「国造本紀」などに見える。同じ「日本蓄紀」「続日本紀」.などに「柯彼」「歌斐」「加比」などと文字をあてているが…
《山梨の国名》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 山梨県の古い国名。甲斐という文字は「古事記」日本書紀」「国造本紀」などに見える。同じ「日本蓄紀」「続日本紀」.などに「柯彼」「歌斐」「加比」などと文字をあてているが、読みはみな「…