2013-06-29から1日間の記事一覧

○白州町 よこて・横手(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 よこて・横手(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南東部。北境を尾白川が東流する。東と西に山地を配する盆地状地形に位置する。集落の中心を県道駒ケ岳公園線が縦貫し、県道横手日野春停車場線が東へ分岐する。韮崎市(祖母万経由)へ…

○白州町 はなみず・花水(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 はなみず・花水(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南西部。南境に釜無川が流れる。七里岩崖下に位置する。公民館花水分館・曹洞宗清泰寺・大官神社・白山神社があり、清泰寺には県天然記念物のカヤ,町文化財の六地蔵塔,元禄15年銘の…

○白州町 とりはら・鳥原(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 とりはら・鳥原(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北部。北境の流川、南境の神宮川がそれぞれ東端を流れる釜無川に東流し,西部は駒ケ岳山麓で山林、東部は水田・畑作地。山麓緩斜面。集落は釜無川に沿う東端にあり,国道20号が縦断し,…

○白州町 だいぼう・大坊(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 だいぼう・大坊(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南西部。南東は大武川を境に武川村に接する。駒ケ岳山麓。集落の中央を県道駒ケ岳公園線が走る。町民俗芸能の馬八節また、公民館大坊分館・日蓮宗法輪寺・諏訪神社がある。産物は米。

○白州町 だいがはら・台ケ原(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 だいがはら・台ケ原(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南東部。北を流れる釜無川に,南境の尾白川が合流し,両川の間に集落がある。尾白川に沿って国道20号が走り。韮崎市へのバス便は1日15回。県道台ケ原長坂線と県道台ケ原富岡線が国…

○白州町 しらす・白須(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 しらす・白須(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の南部。北境を神宮川,南境を尾白川が東流し、東端を流れる釜無川に注ぐ。隆起扇状地。西部は駒ケ岳支峰に続く山麓斜面,東部は水田・畑作地。集落は東端に集中し,国道20号が走り,韮崎市…

○白州町 しもきょうらいし・下教来石(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 しもきょうらいし・下教来石(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北部。北境を加久保沢川、南境を流川が東端の釜無川に東流する。これら河川のつくった隆起扇状地上に位置し西部は桑園,東部は水田・畑作地。集落は東端にあり,集落の中…

○白州町 かみきょうらいし・上教来石(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 かみきょうらいし・上教来石(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北部。南境を加久保沢川が東流し,東端の釜無川に合流する。北境に接する長野県富士見町と結ぶ国界橋が架かる。集落は段丘上、西方から釜無川に流下する河川の周辺に点在…

○白州町 おおむかわ・大武川(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

○白州町 おおむかわ・大武川(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町の北端。北から東にかけて流下する釜無川を境に長野県富士見町に接し、集落は同川右岸に立地する。東部は山林、西部は水田・畑作地。町天然記念物のトチの木がある諏訪神社や塩沢…

白州町の産業 (昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

白州町の産業 (昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 当町の生産基盤は農業であり、耕地の割合は水田58%、畑42%となっており、生産は稲作が首位を占め,次いで果樹(ブドウ・モモ),畜産(肉牛)などのほか養蚕その他となっている。 昭和34年2度の台風災…

〔白州町の近現代〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

〔白州町の近現代〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 行政区画の変遷当町域の村々は、明治元年甲府県、甲斐府、翌2年甲府県の管轄を経て同4年山梨県下となる。 同7年駒城村(大坊新田・横手の2か村とほか1か村), 同8年鳳来村(上教来石・下教来石…

〔白州町の近世〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

〔白州町の近世〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 江戸期の村々天正17年(1589)の関東総検地に際し,甲斐国の検地は伊奈忠次が行い、慶長年間(1596~1615)には大久保長安を検地奉行とする慶長検地が行われた。当町域の江戸期の村々は、巨摩郡武川…

〔白州町 白須の松原 教来石〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

〔白州町 白須の松原〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 鎌倉期の史料は乏しく詳細は不明であるが,当町内を鎌倉往還が通り,武川衆の祖一条源八時信が次男貞信を白須に封じたといわれている。白須から北西に釜無川沿いに続く白須の松原は、南北朝…

白州町の古代・中世〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

白州町の古代・中世〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 真衣野牧古代律令制下における当町域は,巨麻郡に属し,牧の原(武川村)付近から当町にかけては真衣郷に比定される。当郷は平安期御牧の1つ真衣野牧として,甲斐国における重要な馬産地であっ…

〔白州町の沿革〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

〔白州町の沿革〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 釜無川右岸台地の遺跡釜無川右岸の標高600~700mを中心とした段丘および緩やかな傾斜の台地上に多くの遺跡が残されている。台ケ原の中台遺跡,白須の大久保遺跡や竹宇一帯,鳥原地区などは,縄文…

〔白州町の立地〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

〔白州町の立地〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 南アルプス東麓の町県の北西端に位置し,甲府の北西約30kmにあたる。東は釜無川を境に小淵沢町・長坂町,南は大武川を境に武川村・中巨摩郡芦安村,西および北は長野県諏訪郡富士見町・上伊那郡長…

〔白州町名の由来〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

〔白州町名の由来〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 町域を流れる大小河川から流出した白砂が形成した白州による。

はくしゅうまち・白州町

はくしゅうまち・白州町 (昭和59年 「角川日本地名大辞典」による) 〔成立〕 昭和30年(1955)7月1日,鳳来・菅原の2か村と、駒城村の横手・大坊地区、長坂町の一部が分離合併して成立 〔面積〕 137,56km 〔世帯〕 1,264 〔人口〕 4,391人 〔町の木〕 アカ…

釜無川(かまなしがわ)(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

釜無川(かまなしがわ)(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 富士川上流部を呼称する。甲斐駒ケ岳の付近に発源して、北東に流れる。長野県富士見以東ではほとんど糸魚川一静岡構造線に沿って流向を南東に転じ、大小の支流を合して南流し、甲府盆地にはいっ…

「甲斐国志」(かいこくし)71巻。甲斐(かい〕

「甲斐国志」(かいこくし)71巻。甲斐(かい〕 松平定能編集。1814(文化11〕牢11月成立。(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 江戸幕府の甲府勤番支配であった松平伊予守定能が、幕府の内命を受けて、1806(文化3)年に編集にかかり、同11年に完成した甲斐の…

甲斐源氏(かいげんじ〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

甲斐源氏(かいげんじ〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 清和天皇(850-880年〕を祖とする清和源氏の一流。新羅三郎源義光から出る。義光が甲斐守に任ぜられ、若神子の館に住んだというが未詳(筆註—これは不可能)。 義光の子義清は12世紀の初めころ市…

《甲斐の国庁・国政》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

《甲斐の国庁・国政》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 8世紀以後の幹線は御坂路に移っていった。主として金川流域に甲斐国造の伝説と国庁、古代の郷が集中してくるのもその間の経緯を示している。8世紀の初頭701(文武天皇大宝1〕年に大室…

《山梨の古道》《山梨の国名》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

《山梨の古道》《山梨の国名》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 山梨県の古い国名。甲斐という文字は「古事記」日本書紀」「国造本紀」などに見える。同じ「日本蓄紀」「続日本紀」.などに「柯彼」「歌斐」「加比」などと文字をあてているが…

《山梨の国名》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

《山梨の国名》甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 山梨県の古い国名。甲斐という文字は「古事記」日本書紀」「国造本紀」などに見える。同じ「日本蓄紀」「続日本紀」.などに「柯彼」「歌斐」「加比」などと文字をあてているが、読みはみな「…

八ヶ岳遠望 藪の湯みはらしの風呂より

春 八ヶ岳遠望 藪の湯みはらしにて

桜に映える富士山 武川町萬休院にて撮影

山梨県北杜市 藪の湯みはらしのご案内

紀伊蜜柑山 甲州ブドウ園 古い画像

山梨県の重要文化財 木造大日如来座像