〔白州町の近現代〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)

〔白州町の近現代〕(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)
行政区画の変遷当町域の村々は、明治元年甲府県、甲斐府、翌2甲府県の管轄を経て同4山梨県下となる。
7年駒城村(大坊新田・横手の2か村とほか1か村),
8年鳳来村(上教来石・下教来石・鳥原・大武州の吐か村)・菅原村(白須・台ケ原の2か村)清春(片颪村とほか2か村)が成立,
11北巨摩郡に所属した。
22年市制町村制施行の際清春村の」部(小淵沢町)を分離し,鳳来村・菅原村・駒城村・清春村はそれぞれ1村で存続した。
昭和30清春村が長坂町の一部となり(1)
同年7月鳳来村・菅原村および駒城村横手・大坊,長坂町片颪が合併して白州町となる。
過疎化と農業振興明治5年学制にともない菅原学校・教来石学校(のちに鳳来と改称),11年には駒城学校が設立され,その後,各小学校を経て,昭和52年鳳来・菅原・駒城の3小学校を統合し白州小学校となった。昭和22年新しい学校制度にともない菅原村外二力村組合立白州中学校が設置され,30年町立となり,54年新校舎が完成している。
また明治30年、県内に相次いで銀行が設立され、当町域にも台ケ原に菅原銀行が設立されたが、昭和5年峡北銀行を経て同12年廃止された。