柳澤氏 郡山城請け取り

柳澤氏郡山城請け取り
 『ふるさと大和郡山歴史辞典』一部加筆
 
享保九年(一七二四)三月十一日、甲府城主柳澤吉里は、「禁裡守護」(京都皇居)を兼ねる大任の地であるとして、郡山城へ国替の命をうけた。さきの郡山城主本多氏に後嗣が無いので本多家は断絶し、郡山城丹波篠山城主松平信峯が預かっているので、信峯から請け取ることになる。
  四月一五日、柳澤家臣横地周方が、はじめて郡山に来て、家中のための旅宿の交渉、郷村帳引き取り事務の交渉を手が け、柳澤家の家老柳沢権太夫・柳沢筑前が城請け取り役を任命され、徒士以上のもめの家族を含め総人数男女五二八六人が(甲府を)出発した。そのときの出立は、善美をつくし、四.五万石の格式を備えた立派なものであったといわれている。
郡山へ到着した一行は仮住居、相住居で、柳澤権太夫は本町の永原屋八右衛門、柳澤筑前は本町の八尾村屋権三郎方を宿舎としていた。
 城請け取りを五月の初旬に行う手筈(てはず)であったが、農繁期にかかるので、何かと支障が生じ、準備も十分はかどらないので延期し、六月六日と決定された。
 この日は、天気快晴で、郡山城請け取り役人柳澤権太夫以下五十一人が待期して、諸番所の請け取り、城外寄せ場に控の者として侍百九十四人(内騎馬五十二騎・平士百四十二人)、与力十八人、足軽三百三十人、籏之者十人、長柄之者百十人が柳門か、ら本町にわたっていかめしく警戒にあたった。その並みいる中を幕府方引き渡し役人である大森半七郎・堀彦十郎の両使が、六ツ時(午前六時)過ぎに登城し、つづいて請け取り方柳澤権太夫・柳沢筑前をはじめ諸役人が登城する。 
請け渡しは二ノ丸屋形をはじめ、所々の土蔵・厩屋にいたるまで、各現場について目録をもって済まし、それぞれ封印をする。やがて二ノ丸広間上段之間、三方二つに載せた将軍からの黒印状を両使から渡され、城請け取りの儀式が済む。あとで代官会田伊右衛門から、郷帳はじめ領分に関する一切の帳面を請け取り、すべての接収事務が完了し、このことを江戸藩邸に報告している。
 柳澤氏の郡山入部 甲府の引き渡し
 『ふるさと大和郡山歴史辞典』一部加筆
 
享保九年(一七二四)三月十一日、甲府城主柳澤吉里は、京都皇居守護の大任を兼ねて郡山城へ国替の命をうけた。
 家中数千人を抱えた大名の移転は、厳しい幕府の掟と、いろいろな慣習・儀礼、道中での定があって大変であった。
 甲府城を幕府に引き渡すことのほか、幕府の老中から小役人にいたるまで、その関係者への挨拶・祝儀はもちろん、片桐・藤堂・織田・植村など近隣の諸藩への挨拶も必要であった。
 藩士の家では、女子を全員郡山に伴うことは許されず、交渉の結果、やっと二人に一人は郡山に伴ってよいとの許可を得て、親子夫婦が別れなければならないことになり、家財道具は持参することもできず、すべて売り払った。
 甲府城付の武具は幕府に渡すが、柳澤家のものは山に持ち込むことになるの
で弓一六七五張、矢二万六〇三五筋、鉄砲三二一八挺、ほか多数の武具は、清水港から廻船によって大坂に運んだ。
藩祖吉保の菩提寺甲州岩窪の竜華山永慶寺を郡山に移すため四月から本堂をこわしにかかり、
四月一二日には吉保夫妻の墓を恵林寺に改葬し、武田信玄の廟所のほとりに移している。
 郡山城請け取り役に家老柳澤棒大夫・柳澤筑前が任命され、家中の面々とその家族、男女五二八六人、馬八三疋の大部隊が、先立・中立・渡方・江戸勝手方の四班に分かれて、五月七日を期して追々出発する。東海道を通るものは一一泊ないし一二泊、中仙道をとるものは十泊ないし十一泊の予定で、六月一日までに郡山着揃えの手筈で、いずれも所定の期日までに到着している。
 甲府城波方役に任命された鈴木大蔵・川口石見は、六月十一日、楽屋曲輪一之間で、遠州浜松城主松平豊後守に甲府城を引渡し、この由を江戸に注進する。
甲府をあとに鰍沢から船で富士川を下り、蒲原に出て東海道と中仙道の二手にわかれ、六月二十五日にようやく郡山に着いている。
 柳澤吉里は、在府の年にあたっていたので八月一日、江戸の藩邸を出発、品川で藩士村井小平治以下臨時雇い三九三人を帰らせ、残り七三六人が東海道を上った。行列は戦時編成で、藩主と重臣の食事は賄役(まかないやく)料理人によって作られたので、道具、材料は長持十三棹にものぼったという。
 東海道の最難所大井川では川越に二千二百十五人を要し、島田・金谷両本陣の世話方に渡した謝礼を含めて金二十二両余を要した。荒井の船渡しに二百二十七艘舟と金十四両、宮ノ渡では大小の船五十六艘、費用二十八両を要している。その他の経費を加えて金五百九十一両であり、藩士には知行高に応じて道中費用(出張手当)を支給しているので、その総経費は相当額にのぼったものと思われる。
 行列の一行は十三日未の下刻(午後三時)無事郡山城に入った。このことを柳里恭が幕府に報告している。