武川衆の動き天正十年6月6日家康の配下に

6月6日
 徳川家康,武田旧臣岡部正絹に命じ,巨摩郡下山城を築かせる〔家康公示〕
6月15日
 甲斐国領主利尻肥後守秀隆,国人一揆に撃殺される〔国志〕 
北条氏政,渡辺庄左衛門に命じて郡内に進入させる〔家康公伝〕
6月20日
 徳川家康の臣大須賀康高,家康の命で入峡,市川郷で国事の沙汰を行い成瀬吉右衛門・日下部兵右衛門が奉行となる〔国志〕
7月3日
 徳川家康,浜松を出発して甲斐に入る。
7月9日
 徳川家康,中道往還より右左口宿に着陣
7月12日
 徳川家康、九一色郷の士と郷中に諸役免許状を出す
徳川家康,上九一色に諸商人の課役免除,甲府一蓮寺に禁制を出す〔家康公伝〕
天正十年(1582)武川衆への家康感状(『武川村誌』)〕
七月十五日   
米倉忠継 折井次昌
八月十六日   
青木信時  柳沢信俊(柳沢吉保の祖父) 
八月十七日   
折井次昌  名執清三 
九月一日   
山本忠房
九月七日   
折井次忠  小沢善大夫  米倉信継 米倉豊継 米倉定継 青木信時     
柳沢信俊 横手源七郎 曲渕正吉 
九月九日          
名執清三
九月十日          
山本忠房
 
天正十年(1582)家康発給、『武川次衆定置注文』(『武川村誌』)〕
曽雌藤助  米倉加左衛門尉 入戸野又兵衛 秋山但馬守   秋山内匠助     
秋山織部佑 秋山宮内助  功刀弥右衛門尉 戸島藤七郎  小沢善大夫
小沢甚五兵衛  小沢縫右衛門尉 小沢與左衛門尉 金丸善右衛門尉 
金丸新三  伊藤新五  海瀬覚兵衛  樋口佐大夫   若尾杢左衛門尉 
山本内蔵助 石原善九郎  志村惣兵衛  山主民部丞 名執刑部右衛門尉         
塩屋作右衛門尉 青木勘次郎                                                                                                              
 
 
7月24日
 ~24日まで滞在し,武田諸士830人余り帰服する〔国志〕
8月10日
 家康,新府城に入城〔家〕
 徳川家康、新府誠に進出して北条氏直軍と対陣〔家康公伝〕
8月11日
 家康,日ノ出砦(日之城)を修築〔家〕
8月12日
 北条氏忠,1万の軍を率いて郡内口より侵入,八代郡黒駒で鳥居元忠水野勝成と戦って敗北(黒駒の合戦)〔家康公伝〕
8月16日
 ~17日、徳川家康,武川衆に本領を安堵〔家康公伝〕
8月18日
 徳川家康穴山信君の遺子勝千代の本領を安堵〔家康公伝〕
8月29日
 徳川家康の臣大須賀康高榊原康政ら,大豆生田(須玉町)の北条氏直の砦を攻める〔家康公伝〕
8月   
 小田原北条氏直,5万の軍勢を率いて信州海ノ口から甲州に入り,若神子に布陣〔東実〕
9月   
 徳川家康,甲斐新府城にあって,北条氏直の陣に対してしばしば戦を交える〔家康公伝〕
10月29日
 徳川家康北条氏直と和議を結び,甲信両国の経営を進める〔家康公伝〕
10月   
 徳川家康武田信玄・勝頼父子の菩提のため岡部正綱に命じて恵林寺を修覆,景徳院を建立させる〔家康公伝〕 
11月4日
 家康,右左口砦(中道町)を築造〔家〕
11月7日
 家康,勝山城(中道町)を修築〔家〕
12月11日
 徳川家康,新府の陣を撤して古府(甲府)に帰陣〔家康公伝〕
12月12日
 徳川家康,武田氏旧臣に対する所領安堵をほぼ終了,甲州を出発,浜松に帰る〔家康公伝〕
12月21日
 徳川家康平岩親吉甲府城代に命じ,岡部次郎右衛門昌綱・柴田七九郎康忠,加衛となる〔国志〕   
鳥居彦右衛門元忠,郡内債を領す〔国志〕