馬場美濃守信房  三省録(志賀 忍) 馬場美濃守信房  柳庵随筆(栗原信充)

馬場美濃守信房  三省録(志賀 忍)
 甲州武田信玄の家老の中にて、馬場美濃と申たる侍は、戦場常存と申四字を書き、壁に懸置て、平生の受用と仕るよし申し傳ふるところなり。初心の武士心得のため仍如レ件。 (武道初心抄』)
 
馬場美濃守信房  柳庵随筆(栗原信充)
 『治乱記』馬場美濃守氏勝とあり。甲州侍大将也。『甲陽記』馬場伊豆守虎貞、大永六年武田信虎に殺されその跡絶たりしを、当屋形教成(来)石民部少輔景政に仰付られ、馬場民部氏勝とめされ、信濃国眞木島の城に置せらる。永禄の比は美濃守とめされしが、長篠にて討死也。『甲陽軍艦』馬場美濃守百廿騎。『□□一書』はじめ教来石民部丞氏勝、天文十五年馬場美濃守と改む。(或は尚房と云)『仏祖統記』馬場民部少輔景政(後改美濃守信房)日豪上人、遠州端和妙恩寺祖。『家忠日記天正三年五月廿一日長篠ノ戦ニ甲兵多ク戦死シ、勝頼自殺セントスルノ處、馬場美濃守、内藤修理亮踏留リ討死ス、塙九郎左衛門ガ従卒、河井三十郎馬場ガ首ヲ得タリ。