武川町の文人、小野松渓(武川村誌 昭和61年)

武川町文人、小野松渓武川村誌 昭和61年)
 松渓は武川村三吹町人、号は月影舎、通称平右衛門武敬といい、文化十四丁丑年(一八一七)小野平五郎光治の長男として生まれた。
文久三年(一八六三)四十七歳のとき妻ますに先立たれ、若い頃から俳諧を能くし、旧鳳来村の塚原甫秋、幾秋の影響するところが大きかったと思われる。
幕末の俳人として甲州において活躍した。
 慶応三年(一八六七)七月発行された「甲斐俳家人名録」山高の石原嵩山等と共に名を連ね次の句がでている。
   立ながらまだ薄らぐや初桜
   さみだれや入江にひとつつなぎぶね
   虫売りや秋をふかして夜終る
   いふ事の皆新らしや夷講
に塚原幾秋、
また国道二十号線から新屋敷入口に、俳人松渓の建立した句碑がある。
「萬休院に年古き松樹あり」として小野松渓の句碑(国道20号線新屋敷入口)
   みる人にみせばや松の深みどり
          月影舎 松渓
 元治元年(一八六四)に建立したものである。この句碑は何回かの水害、道路の改修工事等があったにもかかわらず、よく耐えて現在百二十有余年の歴史を物語っている。安山岩に彫りのよい整のさえで二行に刻んである。筆跡も良く録したたる萬休院の舞鶴松のよさが表われていてすばらしい。
 松渓は数多くの弟子を育て近隣の着たちに俳諧を盛んならしめ、明治、大正、昭和と有名人が数多く輩出された功績は大きい。
明治三十一戊成年(一八九八)三月十四日、八十三歳をもって生涯を閉じた。萬松院大賢壽正書居士、三吹の萬休院に墓がある。