2019-05-21から1日間の記事一覧

甲斐の行基伝説 甲斐 縄文時代最大級の天神堂遺跡

甲斐の行基伝説 (資料『郷土史事典』山梨県 手塚寿男氏著 1978) 一方、湖水の水をとりのぞいたのは、僧の行基であるという伝説もある。元正天皇の養老年間(七一七~二四)に行基が甲斐国に遊行したとき、南山を切りひらいて水を富士川に流したので、国…

なまよみの甲斐の夜明け

山あいの国 山梨県 (『郷土史事典』 風土と歴史と人 山梨県 手塚寿男氏著 1978) 山梨県は、背の甲斐一国をそのまま境域としてなりたっていて、甲斐の国名が峡に由来しているように、どちらをむいても山また山である。北部から東部へかけては関東山地で…

山梨歴史講座 国司等に発せられた令

山梨歴史講座 国司等に発せられた令 詔(みことのり)にみる国司の仕事 詔(みことのり)・他(『続日本紀』)宇治谷孟氏-現代語訳 1、文武天皇 文武天皇 二年( 698)三月 十日 《郡司の選考》 諸国の国司は、郡司の選考に偏頗があってはいけない。郡…

甲斐上代国政関係者一覧

甲斐上代国政関係者一覧 『甲斐国志』「姓氏部」 《註》年代順ではありません 「甲斐」を名乗っても山梨の出とは限らない。 九州宮崎にも「甲斐」を名乗る武将も鎌倉時の書に多々見える。 ◇甲斐前司家国(宗国) 建長、正嘉の引付番の内に見ゆ。 初甲斐国に…

甲斐上代国政関係者一覧 2

甲斐上代国政関係者一覧 2 ◇大井 巨摩都ノ郷名ナリ。山梨郡ニモ大井窪ト云処アリ。 大井郷ハ後ニ大井ノ圧トモ云。 宇治袷遺物語 甲斐国の相撲大井光遠はひざふとにいかめしく力つよく足はやくみめことからよりはいみじかりし相撲なり。それが妹に年廿六七ば…

信濃御牧及び貢馬 永仁三年(1295)~天正十六年(1588)

信濃御牧及び貢馬 永仁三年(1295)~天正十六年(1588) 信濃の貢馬を諸記録から抽出してみると、これまでに書されている内容より長い期間であったことが分かる。 信=信濃諸牧 霧=霧原御牧 望=望月御牧 新=新治御牧 穂=甲斐穂坂 真=甲斐真衣…