歴史の中の子供たち

歴史の中の子供たち

 

茨城県石岡町・石岡製糸所(1891年創設 

『画報日本近代の歴史』6(三省堂)から

 

製糸工場のなかで、多数の年若い工女たちが、忙しく働いている。

産業革命期、器械製糸といっても、繭から糸目を引きだしたり、

糸を巻糸枠につなぐなど主要な工程は、

依然として手先の労働に依存していた。

その労働を担ったのが、年少工女たちであった。

「忙がしき時は斡床を出でて直に業に服し、

夜業十二時に及ぶこと稀ならず。

食物はワリ麦六分、米四分、寝室は豚小屋に類して顧見るべからず。」

とは、横山源之助か『日本の下層社会』で記述するところである。

身売り同然の姿で親元から工場へ送られてきた彼女たちは、

過重な労働を強いられたのであった。

それは、彼女たちから就学の機会をとりあげただけでなく、

健康と成長をむしばみ、若い生命をも奪った。

 かような子どもの工場労働は、

かつての子どもの労働にみられた、

生産技術や労働能力を身につけるという教育的側面を失わせ、

子どもの労働のありようを一変させた。

それは、もっとも低廉な労働力をむさぼりとる賃労働そのものとなったのである。