北杜市偉人伝

柳沢吉保 『甲斐国志』

松平美濃守吉保『甲斐国志』一部加筆 『武家補任』云う 柳沢刑部左衛門安忠の二男始め柳沢弥太郎保明 神田御屋形ノ小姓也 柳沢氏ハ本州武河衆の一員なり 御本丸ニ被為入節為に御小納戸(延宝九年の『武鑑』に見える) 貞亨二年丑十二年廿八日、任官出羽守従…

甲斐善光寺 〔牛にひかれて善光寺参り〕

〔牛にひかれて善光寺参り〕 こゝに一つの不思議の話は延賓六年(一六八〇)江戸の芝牛町から一疋の牛が来山された事である。 寺録に、 延室六年(一六八〇)江戸芝牛町より一疋の牛、常山へ参詣の事、一七日 参籠、其行方不知、彼牛の石碑は本堂東の傍にあ…

北杜市偉人伝 小尾守彦 『北巨摩郡誌』(一部加筆)

北杜市偉人伝 小尾守彦 『北巨摩郡誌』(一部加筆) 寛政四年(一七九二)甲村五丁田(北杜市高根町)なる里正の家に生れ、通称兵之進、諱は保教、字は子孝、鳳山と号した。幼にして谷戸の祠官某に学び、其の後独学独習一家を成し又書を能くした。蕪(かぶら…

武川町 山高氏系譜

北杜市偉人伝 中山正俊 白州町横手出身 『北巨摩郡誌』一部加筆

北杜市偉人伝 中山正俊 白州町横手出身 『北巨摩郡誌』一部加筆 本県明治の漢学教育家として第一位に置くべきは駒峯中山正俊である。氏は安政三年(一八五七)駒城村横手に生る。天資頴悟夙に甲府徽典館に学び、明治六年(一八七三)笈を負い東都に遊学する…

北杜市偉人伝 今井喜七氏&名取高三郎氏

北杜市偉人伝 今井喜七氏(小淵沢町篠尾村)&名取高三郎氏(白州町上教来石) 名取高三郎氏(「白州町誌」昭和61年) 北海道で大活躍(名取高三郎商店)、郷土への貢献も大 安政五年(一八五八)十月二日、旧鳳来村字山口名取員保・まるの長男として生まれた…

大武川鳥瞰(蘇り来る河)昭和43年大水害 古屋五郎氏著(元白州町長)

大武川鳥瞰(蘇り来る河) 古屋五郎氏著(元白州町長)『中央線』第8号(1972) 私が南方の長い戦陣から復員したのは、昭和二十一年であった。その年は極度の栄養失調と、敗戦の虚脱状態の中に空しく暮れた。年が明けて体調もやゝ整ったので、先ず外地に…

白州町 河西素柳 河西儀右衛門

白州歴史上の人物〔河西氏 下教来石〕 角川日本姓氏歴史人物大辞典10山梨県 『続峡中家歴鑑』に、北巨摩郡鳳来村下教来石(白州町)の河西斐規がみえ、同家は新羅三郎義光の末喬河西蔵人義行を祖とし、治承四年の頼朝挙兵、義経追討に功をあげ、甲斐河西荘を領…