甲斐の御牧と地域歴史書 和歌の世界の混乱

甲斐の御牧と地域歴史書
 
  1. 混乱する和歌の世界
    (小笠原、逸見、みつ(美豆)、御牧)
 《筆者注》六帖夫木集云歌集題駒牽甲斐或伊豆とある。
都までなつけてひくは小笠原
へみの御牧の駒にや有ける  紀貫之
小笠原みつの御牧にあるゝ駒
もとればぞ馴るこらが袖かも 作者不知
 をがさわらみつの御牧のはなれ駒
いとゞけしきぞはるはあれ行 顯仲朝臣
  なつくともいかゞとるへき草わかみ
三つのみ牧にあるはゝる駒  基俊
小笠原すぐろにやくる下草の
なつまつあるゝつるのふち駒 仲實朝臣
春ぞみしみつの御牧にあれし駒
ありもやすらん草がくれつゝ 従三位家隆
日を經つゝみつの野澤のまこも草
あをめははるの駒ぞいばゆる 俊成卿

《筆者注》この「みつの御牧」は朝廷の牧場で「美豆の御牧」京都市伏見区淀美豆町から久世郡久御山(くみやま)町にかけての一帯を指した地名で甲斐の御牧ではない。 小笠原や逸見の牧の所在も現在の比定地ではない可能性もある。

 
2、小笠原逸見の御牧『甲斐叢記』の見解
 按するに穂坂の庄に三澤村あり。又小笠原の方へ通る路に三澤通といふ路あり。これを斥か
小笠原焼野のすゝきつのぐめば
すぐろにいさむかひの黒駒    俊成卿
もえ出る草葉のみかは小笠原
駒のけしきも春めきけり     僧都
小笠原逸見の御牧を子らにとへば
ゆびさすかたにあそぶ春ごま
(中略)因に云小笠原牧は穂坂牧に属きて元来巨摩ノ郷の内なり。六帖に紀貫之が歌を載て逸見ノ御牧と題したれは、小笠原と連綿たる一牧乃とは聞え難し。小笠原と逸見と二所に分ていふ時は小笠原は穂坂牧の内にて、逸見は乃はち柏前牧を云ふならんか。
 又美豆御牧といへるは穂坂、小笠原、柏前の三所を指て云なるべし。 
《註》《これは大きな間違いある》地名と枕言葉の狭間で、確定する資料が無いまま記述したことが理解できる。「美豆」「三つ」とし三牧を指すなど混乱している。