入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町)鳳凰山の誤解

入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町鳳凰山の誤解
寛延三年七月十九目の甲斐国巨摩郡芦倉村と同国同郡黒沢山高柳沢三か村山論裁許の事の中で、芦倉村の御林境について、「東は小沢より東北の方堀切、薬師嶽、観音嶽、地蔵嶽、芦倉よりは高根相手三か村より天狗嶽と差し侯峯通りせん水峠云云、黒沢、山高、柳沢三か村の御林境については、判行の道より八町、庄司、みつなぎより鳳風山え峯通り早川峠、せん水峠云云」と述べていることから考えると、現在国土地理院の地図をはじめ、世間一般に言われている鳳凰山の山名は、地蔵岳観音岳薬師岳三山の総称であることは誤りであり、山論裁許の中で呼称している山名と、現在呼称している山名が異なっていることも明白な事実である。
鳳凰山の山名については、明治の末年から論争が起こり、昭和の初めにはほぼ論争は終了したかのごとくであったが、鳳凰山の山名についての研究は今なお続けられているので、このことについては本節の終わりで言及する。
七左衛門名主之内と記入されている文書に次のようなことが記載されている。