入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町)《牧原村は柳沢村・山高村・黒沢村を相手取って、奥山前山出入の件について訴訟》

入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町)《牧原村は柳沢村・山高村・黒沢村を相手取って、奥山前山出入の件について訴訟》
元禄十五年(1702)十月、牧原村は柳沢村・山高村・黒沢村を相手取って、奥山前山出入の件について訴訟をしている。その中で牧原村は、先の取り決めにより、柳沢村、黒沢村に山手籾を出し、入会地となっている奥山前山から薪、苅敷、草木を採取しているが、去る八月五日薪を採取して帰る途中、山高村の者に薪を取り上げられた。そこでこの件につき柳沢村及び黒沢村に対して抗議をしたところが、柳沢・山高・黒沢村の大勢の者が、薪を採取している所にちん入し薪取りを妨害し
た。そもそもこの地は、三八年前御公儀様の取計いで御嶽山御師扱の山なる故、証文を取扱人方に提出して入会地としていただいたものであるので、三か村の老を取り調べていただきたい、としている。
これに対して、黒沢村が筆頭となって、山高村、柳沢村は同年の十一月次のごとく反論の訴訟をしている。
牧原村が黒沢村、柳沢村に山手籾を出して奥山前山で入会として薪、草木等を取得しているとの主張は偽りであり、奥山入会の村々は、山元の柳沢・山高・黒沢三か村と、若神子村(現須玉町)、下黒沢村(現高根町)、塚川村(現長坂町)の六か村で、牧原村は奥山入会には関係がない。 
また、三八年前の塚川村との前山入会についての山論訴訟の節、御公儀様の取計いで、御嶽山御師扱の山たる故、証文を取扱人方に提出して入会としてもらったとの件は、牧原村の料簡違いである。また、その節の前山入会についての山論訴訟は、奥山と前山の境論と草間出入についてであった。そして、山元の村の主張の通りの境界となり、塚川村は前山草間に入らないことになり、御嶽山御師衆扱であったので塚川村より証文が提出されたそのおり、その書面に牧原村が書載せられたものであり、その後、牧原村より数度にわたって山論について提案があったが採択されたことはない。
さらに翌年の元禄十六年(1703)八月十一日、黒沢村と柳沢村はそれぞれ代官所に提出した指上ケ申御書面之事という書面で、牧原村と柳沢・山高・黒沢三か村との奥山前山山論については、御検分の折提出した書面の通りであると牧原村の言い分を却下している。
この牧原村が提訴した奥山前山の訴訟は、元禄十六年(一七〇三)十一月、牧原村名主が、武川筋牧原村よりの黒沢山高柳沢三か村野山論裁許申付覚の中で敗訴を認めている。