入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町)《村内取り交わし文書》

入会山と山論(武川村誌 現在は北杜市武川町)《村内取り交わし文書》
入会山に関する書面の取り交しは村対村で行われているばかりでなく、村内の者の間でも行われている。
 
延宝四年(1676)には、三吹村名主、長百姓二名の連署で、村内の三名の者宛に入会地の確認がなされている。その内容は、名主側が大武川日影山から棚木を切り出したが、それは黒沢山からは事情があって切り出すことはできない。それで入会山である大武川日影山から切出したのであるという弁明の形でなされている。
 
延宝五年(1676)七月には、三吹村より代官所宛に訴訟届が出されている。
その中で三吹村は、柳沢・山高・黒沢の三か村との間で既に決着のついている中山境より大平までの入会地で、七月上旬馬草等を採取していたところ、柳沢・山高・黒沢の三か村の者どもに襲われ、鎌三〇丁を取り上げられたうえに、暴行をうけるなどその無法ぶりに困惑している。もしこの入会地より馬草等の採取が不可能となるならば、田畑の耕作はもちろん、伝馬、役馬も出すことが不能となるので、その意を察せられて御配意を賜わりたいと主張している。