武川村(町)指定文化財 武田勝頼印判状 「黒沢山大堺之事」

武川村(町)指定文化財 武田勝頼印判状 「黒沢山大堺之事」
一木家所有武田勝頼印書他(未指定)武川村(町)指定文化財
 
 一
南ハ判行之道より八町庄司みつなぎより北ハ黒沢分として、莫原下道より石うとろわたは、石塔烏帽子石大武川切
ニ南ハ黒沢分也 天正九年辛巳八月廿日 (獅子朱印)
 この文言は武田勝頼の獅子朱印を押捺した山境裁定状である。勝頼の獅子朱印は、竜王川除け関係の文書にもあり、民政関係の定吉等に用いたものであろう。天正九年八月といえば、武田家の家運も急激に傾きつつあって、明くる年の三月には最期となる運命に至っていたにもかかわらず、このように権威があったのである。一木家(清兵衛)の家系は代々清兵衛を襲名、黒沢出羽守より出た旧家で、出羽守の子一木主水介長高を祖とする。天正の頃一木清七の代に武田氏より鳳風山黒沢山大堺の朱印状を受けて所有権を確認された。これがその朱印状で、この文書によって以後若神子村(現須玉町)、塚川村(現長坂町)をはじめ近在の諸村から相当の代償を徴収して入会を許したのである。そしてこの権益は武田家滅亡の後においても、徳川家からも承認され、明治初年まで入会諸村は一木家に対して、入山料として相当の金品を納めてきた。