山梨県 昭和時代の水害

昭和時代の水害
(参考『若草町誌』一部加筆)

昭和九年(一九三四)
九月室戸台風。全国的に空前の大被害。本県死者一三人。
昭和九年九月二十一日に室戸台風が来襲し、全国で死者行方不明三、〇三六人、家屋の全壊・流失など四、二九八戸にのぼる大きな被害を生じたが、県下の被害は少なかった。
昭和一〇年(一九三五)
九月台風の雨量四一九ミリ。被害総額一、一五〇万円。荒川、塩川沿岸が激甚。
昭和十年(一九三五)には前線台風が県下を襲った。中巨摩郡下では御勅使川筋一帯の被害が激甚で、芦安村源村地内の道路橋梁などが流失、有野石従堤及び左岸旭村の虫歯堤百間堤が決壊し、村落の被害が甚だしかった。

昭和二〇年二九四五)
一〇月台風。全県に被害。
昭和二二年(一九四七)
九月カスリーン台風。県南部大被害。被害五億以上。
昭和二三年(一九四八)
九月アイオン台鳳。県東部が被害大。
昭和二五年(一九五〇)
六月前線豪雨。
昭和三四年(一九五九)
八月台風七号
一〇月台鳳一五号
昭和四〇年(一九六五)
九月一七日台風二四号により鏡中条橋が流失
昭和四一年(一九六六)
台風二六号
昭和初期の数年間には目立った風水害もなく、比較的平穏な年が続いた。農業地帯の経済状態も良くなりつつあったが、
室戸台風
(参考『若草町誌』一部加筆)
昭和九年九月二十一日に室戸台風が来襲し、全国で死者行方不明三、〇三六人、家屋の全壊・流失など四、二九八戸にのぼる大きな被害を生じたが、県下の被害は少なかった。
昭和十年(一九三五)には前線台風が県下を襲った。中巨摩郡下では御勅使川筋一帯の被害が激甚で、芦安村源村地内の道路橋梁などが流失、有野石従堤及び左岸旭村の虫歯堤百間堤が決壊し、村落の被害が甚だしかった。
その後昭和十二年、十八年と台風災害があったが、敗戦直後の昭和二十年十月三日から五日にかけての秋雨前線台風は静岡、山梨などに大きな被害をおこし、大戦に敗れたショックと、荒廃のドン底にあった県民には、大きな重荷となってのしかかったのである。総雨量は三〇八ミリに達し、芦川筋を筆頭に釜無川、御勅使川、富士川など県下の各河川は増水して田畑は泥海と化し、山崩れも各所で発生した。滝沢川は右岸の五明村戸田地内、蔵の前で三五メートル決壊し、下流の家屋浸水は二一六戸に達した。
県下では死者三六人、家屋の全半壊二五六戸、家屋浸水六、二二〇戸、田畑の流失八五ヘクタール、冠水八〇〇ヘクタールに及んだ。橋梁は飯富橋、富士橋、武田橋などが流失した。