武川町、国指定文化財 天然記念物 神代桜

武川町、国指定文化財 天然記念物 神代桜
 武川村には大武川を境として左岸に舞鶴松、右岸には神代桜がある。
この松と桜はいずれも日本一という折紙付きの天然記念物として、今日あるのは、武川村の自然環境がいかに良いかを物語っているといえよう。
 山高実相寺の神代桜(大正十一年十月十二日指定)
 このサクラに就いては「植物編」で詳しく述べているのでここでは省略し、ただこれにまつわる伝説、詩歌などを書き留めよう。
【伝説】
 このサクラは、景行天皇の皇子日本武尊が東国へ遠征の時、この地をとおり記念に手植されたものだという。
 その後、日蓮上人が、この寺にやってきて、サクラの樹勢の衰えているのを心配して、その回復を祈ったところ不思議にもしだいに樹勢がさかんになったといわれている。
 実相寺は日蓮宗身延山の末寺で開山は波木井伊豆守入道日應で、永禄年中、蔦木越前守が本村大津というところから現在の場所へ移転したといわれている。
 今の地は、山高五郎左衛門(武田太郎信方裔の宅跡)ともいわれている。
 『甲斐叢記』によれば、このサクラに関して、
幾百歳をへたることを知らず、花時は遊人うちつづきてたえまなし。朝日に、にほえるを見ふけりて暮にいたる 
ものあり。ある老は、寺院の座敷に宿り、ともし火をてらして夜の姿をめでるものあり、一樹の花、一千人のい
つくしみを受くることを知らず。実に世の中にたぐい稀なる大桜なるべし
記していて、当時の人々のこのサクラへの関心の深さが伺える。
 明治十三年、旧鳳来村(現白州町)の人、塚原幾秋が芭蕉の詠んだ句碑を建立した。
  しばらくは、花の上なる月夜かな  はせを
 また、山高の俳人石原嵩山他有名人が次の和歌を詠じている。
  いく春も同じさくらにうかれ出でて 見つゝそあかぬ我がこころかな 守政
春毎にことしも一乗ては大津山 ほなかげにくむ酒ぞたのしき    原千淵
咲きにはふ千もとの花を一本に 集めて見する心地こそすれ     清水謙光
大津山大木の桜ひともとは 千本にもまして世ににほふなり     三枝雲岱
里の名の山よりもげに世に高く 聞こえて立てり花のひともと    落合直言
たぐひなき大樹の花をあふぎみて 空にうかるる我心かな      塚川豊一
 
「実相寺の桜」と題して
 
山高みたえず棚引く雲の上                    
 雲と見ゆるは桜なりけり    
雲に入り霞を分けて釆て見れば 
幾千代経ぬる山高の花     
千早や振神世のむかし根ざしけむ
 立ちそびえたる山高の花   
山高やほとけ生るるほなのなか                 田草川草園
甲斐か板の山高うして初ざくら                 清治
千本かと見ゆる一木のさくら哉                 琴風
苦労した坂も莱やほなざかり                  守彦
  見上ぐれば雲に咲き込む桜かな
  此頃は月と花との夜明けかな
 
以上のごとく数限りなく漢詩に和歌に、俳句に詠じられていることはまことに日本一の老桜のゆえんであろう。