甲斐駒山脈の特色

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甲斐駒山脈の特色
 
小島鳥水『現在登山全集』「北岳 甲斐駒 赤石」 
昭和36年 創元新社刊(一部加筆)
 
花崗岩と古生層地と交錯していること、日本アルプスに比額のない、シエラ、ネヴァダににたような、鋸歯状の山稜を有すること(鋸岳において)、高山植吻は全体に稀少なること、連嶺申標高の差違はなはだしく、その低所には、針葉樹、樺類、偃松、など茂生して縦走に困難なる事などである、ノちなみにいう、地蔵・鳳凰諸山を組織する花崗岩塊は、中央アルプスなる木曽山脈を帯皮する黒雲母花崗岩とはややことなって、角閃石をまじえた、粗粒な雲閃花崗岩である。
甲斐駒山脈の南西にあたって、野呂川谷(早川となつて富士川に入る)を挟んで、赤石山脈の最北端、奥仙丈岳(普通の地図には仙丈岳とあり、信州では前岳と称している、三、〇三三メ一トル突)が掘起して、駒ガ岳と対面している、頂上噴火孔状のサアカスは、山岳と氷雪の関係を研究するには好材料である、奥仙丈岳から山脈腕艇として低下すること五〇〇メートル
突におよび、荒倉岳(二、五一七メートル突)横川岳(二、三三メートル突)より白峰山脈の間の岳にむすび、また南行して安倍荒倉(二、六九八メートル突)伊那荒倉(二、六九八メートル突)より、間の岳(別名汐見岳、または荒川岳という、白峰山脈の間の岳と区別して、赤石の間の岳と呼ぶ三、〇四七メートル突)の高峰を起し、東南に行くものは蠣幅岳(二、八六五メートル突)徳右衛門岳(二、五九九メーナル突)となり、西南にはしるものは三伏峠、小河内岳(二、八〇二メートル突)など、二、七〇〇メートル突ほどの山嶺から、西河内岳にむすび、西河内岳は、さらに東北に支脈を派して、魚無河内岳(三、〇八三メートル突)となり、やや鞍状に凹んで、悪沢岳、千枚沢岳をおこし、大井川水源の谷に断絶している、悪沢岳の標高は、三、一〇〇メートル突ぐらいはあろうと思われる。
 西河内岳はさらに南走して、赤石山脈の主峰赤石山(三、一二〇メートル突)を起し、聖岳(二、九七六メートル突)上河内岳(二、八〇三メートル突)仁田岳(二、五二四メートル突)光岳(二、五九一メートル突)となって、光岳から三派に分かれ、北は上記赤石の本派で、南の二派は東の方信濃俣(二、三三二メートル突)大根沢山(二、二三九メートル突)大無間山(二、三二九メートル突)小無間山(二、一五〇メートル突)となり、西の方、加々森山(二、四一九メートル突)十釈迦岳(二、三七五メートル突)中尾根山(二、二九六メートル突)黒沢山(二、一二三メートル突)奥黒帽子山(二、〇六五メートル突)前黒法師山(一、九四三メートル突)となっている、前黒帽子、奥黒帽子の二山などは、頂上まで唐松や栂の稚樹が映えている、大無間山の頂上にも、矮樹がある、この辺の山岳は、急峻の屏風をならべたようで山脈も数派に分岐して、二、〇〇〇メートル突前後の高さを有しているが、土地が南に偏するため、樹木おおく、かえって高山性の突冗と赤裸をかく感じがする、以下南走するにしたがって、赤石山脈も漸次陵夷してしまう。
 駒ガ高山脈と、赤石山脈とのあいだに割りこんで、白峰山脈の主峰は、北岳(三、一九二メートル突)間の岳(三、一八九メートル突)農鳥山(三、〇二六メートル突)など、私どものいう白峰三山をもたげおこして、ことに北岳と間の岳は、標高においては、赤石白峰両山脈はもちろん、飛騨山脈においても、匹敵なき高さをしめしている、すなわち北高は、日本全国中、富士山(三、七七八メートル突) につぐ高山で、高さではじつに日本で第二番目、隣りの間の高が第三番目である、(第四番目は飛騨山脈の槍ガ岳である)農鳥山すらも、飛騨山脈の尤物、乗鞍岳と同一の高度を有しているのをもって見るも、この山脈がいかに高峻をきわめているかがわかる。
 それから白河内岳、大籠岳(二、六九八メートル突)広河内岳(二、七一八メートル突)黒河内岳(二、二三七メートル突)より南東して、新沢峠(二、二一五メートル突)デンツク峠、笟ガ岳(二、六二九メートル突)千挺木山(二、五八四メートル突)稲見山(二、四〇五メートル突)虎杖山(二、四〇七メ一トル突)青枯山(二、二〇九メートル突)水無峠(二、〇七六メートル突)大崩山(本谷山二、〇一四メートル突)行田山(二、〇〇〇メートル突)白崩(一、九一八メートル突)より七面山(一、九八二メ一トル突)につらなって早川にぼっし、叉一方は大崩山、自崩などより分岐してしだいに低下して駿河に入る。
 引っ括めて南アルブスの特徴をいうと
(一)他の日本アルプスが、ほとんど悉く火成岩より成れるに反して、全部水成岩(秩父岩の類)より成れること(ただし甲斐駒ガ岳山脈をのぞく)
(二)水成岩山として、唆高日本第一なること
(三)南方にへんするため、北アルプスならば、とうてい樹木を生ぜざるべき地点まで、欝蒼として樹木を鎧えること
(四)赤石白峰の二大山脈並行して、日本アルプスに稀有なる山系をつくれること
(五)前山(すなわち早川連嶺、伊部山脈、釜無山脈の類)にさまたげられて、裾野的原野発育せず、山中にも平坦なる地域、いたって少ないこと
(六)山また山の秘奥にあって、其の「深山幽谷地」なること
(七)ゆえに赤石山のごとき、三、一二〇メーtル突の高峰でありながら、他のアルプス高山のごとく平原地より望見しにくいことなどである。
 上記諸山岳の申、主要なる山岳の登路は、甲斐駒山脈の中、
駒ガ岳は甲斐台ガ原、または柳沢、信州戸台より、
鳳凰山および地蔵岳は、甲斐柳沢、青木湯、蘆倉の三方より、
鋸岳は信州戸台より、
赤石山脈の中、奥仙丈岳は、信州中尾より、小河内谷をへて、または同戸台より大岩の小屋をへて、
赤石の間の岳は、信州市の瀬より三峰川に入り、その支流荒川をさかのぼって、
赤石山は信州大河原より小渋川をさかのぼって、いずれも達せられる、
また白峰山脈の北高は、甲州麓安村から、間の岳および農鳥山は同国、奈良田から登られる。
 
著者 小島鳥水(こじま・うすい)
 木名久太、日本山岳会別法発起人の一人で初代会長をつとめ、初期日本アルプスに、その他の山々に多くの登山を行なった。著書に『日本アルプス四巻』の代表作の他に多数あり、一九三五年死去された。