芭蕉&素堂消息 周辺俳人の動向◇貞享三年(一六八六)

芭蕉&素堂消息 周辺俳人の動向◇貞享三年(一六八六)
芭蕉】四十三歳
 正月、其角・杉風らと『初懐紙』百韻を興行、その前半五十韻に評注を加える。
春、「古 池や」の句。
【素堂】四十五歳
 三月、芭蕉庵での衆議判による『蛙合』に加わる。
曽良
二宮三十日、芭蕉・清風・挙自・コ斎・其角・風雪と「花咲て」歌仙成(-橋)。
『蛙合』(仙化撰、閏三月奥)に発句文集。
【去来】三十六歳
八月中旬妹千子と伊勢に旅し『伊勢紀行』を書き、芭蕉の添削と跋文を得る。
冬東下、嵐雪・其角と「鴨啼や」三吟成(いつを昔)。
【嵐雪】三十三歳
閏三月十四日江戸に帰着(徳川実紀)。その折の紀行文「胡塞記」を書く。
これ以後石町二丁目に転居し遊女烈女と同棲(風の末)。
【越人】三十一歳
『春の日』(荷今編、仲秋↑浣刊)に発句九、一座の俳諧三人集。句数は集中第一。
【土芳】三十歳
このころ致任したかともいう。
【其角】二十六歳
正月、芭蕉を交え杉風・仙化・李下・千里・不トらと「日の春を」十七吟百韻興行、その前巻五十韻に芭蕉が評注を加える(初懐紙)
【丈草】二十五歳
冬ごろ江戸の芭蕉に「招けども届かぬ空や天津雁」の句を送ったか(竜ケ岡)。
【仙化】
『蛙合』
【荷兮】
『春の日』刊
●四月十三日、伏見の任口上人没(八十一歳)