富士山噴火 ○貞観6年(864)7月17日【『三代実録』】

貞観6年(864)7月17日【『三代実録』】
甲斐国言…駿河国富士の大山に、忽ち暴火あり、崗欄巒を焼き砕き、八代郡本栖并にセの両の水海を埋む。水熱きこと湯の如く、魚鼈皆死し、百姓の居宅、海と共に埋もれ、或いは宅ありて人無きもの、其の数記し難し。両の海以東に、亦水海有り。名付けて河口湖という。火焔赴きて、河口湖に向かう。本栖・セの海、未だ焼け埋もれざるの前、地大いに震動して雷電暴雨あり、雲霧晦冥にして、山野をわかち難く、然るに後のに此の災異有りと。(『富士吉田史』)
貞観6年(864)8月 5日【『三代実録』】 …甲斐国下知…甲斐国下知して云う。駿河国富士山に火ありて、彼の国言上す。之を蓍亀に決するに云わく、浅間神社禰宜・祝等、斎敬を勤ざるの致す所なりと。仍りて陳謝すべきの状国に告げ知らせ訖わりぬ。宜しく亦奉幣解謝すべしと。
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