武川衆下之郷起請文(武川村誌)
永禄十年(1567)
懸紙(ウハ書)
青木
「上 山寺 六河衆
柳沢
「敬白起請文」
一、此已前奉捧対数通之誓詞、弥々不可相違之事
一、奉対 信玄様、逆心謀叛等不可相企之事
一、為始長尾輝虎、従敵方以伽何様之所得申旨候共、不可致同意之事
一、甲・信・西上野三ヶ国諸卒、雖企逆心、於于某者無二奉守信玄様御前、可抽忠節之事
一、今度別而催人数、無表実、不渉二途、可抽戦功之旨、可存定事
一、家中之者、或者甲州御前悪儀、或者臆病之異見申候共、一切二不可致同心之事
右条々令違犯者、蒙 上者梵天・帝釈・四大天王・閻魔法王・五道之冥官、殊ニ者甲州一二三大明神・国建・橋立両大明神・御岳権現・富十浅間大菩薩、当国諏方上下大明神・飯綱・戸隠・別者熊野三所権現・伊豆箱根三島大明神・正八幡大菩薩・天満人白大自在天神之御罰、於今生者享癩病、到来ニ而者阿鼻無間ニ可致堕在者也、仍起請文如件
永禄十年八月七日
馬場小太郎信盈 (花押)(血判有り)
青木与兵衛尉信秀 (花押)(血判有り)
山寺源三昌吉 (花押)
宮脇清三種友 (花押)(血判有り)
横手監物満俊 (花押)
青木兵部少輔重満 (花押)
柳沢壱岐守新勝 (花押)(血判有り)
六郎次郎殿(武田信豊)
読み下し
敬白起請文
一、この已前捧げ辛り候数通の誓詞、いよいよ相違致すべからざるのこと
一、信玄様に対し奉り、逆心謀叛等相企つべからざるの事
一、長尾輝虎を始めとし、御敵方より如何様の所得を以って中す旨候とも、同意致すべからざるのこと
一、甲・信・西上野三箇国の諸卒、逆心を企つと雖も、某に於いては無二に信玄様御前を守り奉り、忠節を抽んずべきの事
一、今度別して人数を催し、表裏なく、二途に渉らず、戦功を抽んずべきの旨存じ定むべきの事
一、家小の者、或は甲州御前忠しき儀、或は臆病の異見申し候とも、一切心致すべからざるの事
右の条々違犯せしめば上は梵大・帝釈・四大天王・閻魔法王・五道の冥王、殊には甲州一二三大明神・国建・橋立の両大明神・御岳権現・富士浅間大菩薩.当諏訪上下大明神・飯縄・戸隠、別しては熊野三所権現、伊豆・箱根・三島大明神・正八幡大菩薩・天満大白在天神の御罰を蒙り、今生に於ては癩病を享け、来世に到りては阿鼻無間に堕在致すべきものなり。仍って起請文件の如し。
《解説》
六河衆の起請文は、本紙と包み紙とから成る。本紙を折りたたみ、大型の良質の和紙(これを懸紙という)で包み、その上下を折り曲げ、
青木
「上 山寺 六河衆」
柳沢
というように記す。これを「ウハ書」という。本紙は紀州熊野三社からもたらされる牛王宝印を捺した牛王紙である。牛王紙の裏に起請文が書かれる。その書き出しには、「敬白起詰文」とあり、行を変えて誓約事項を箇条書きに記している。
その内容は、
①これ以前に捧げ奉った数通の誓詞について、これからもますます相背くことはしないこと。
②信玄様に対し奉り、逆心をいだき、また謀叛を企てることはしない。
③長尾輝虎をはじめ敵方より、どんな所得(利益)をもって誘われても、同意はしないこと。
④甲・信・西上野三か国の諸卒が逆心を企てても、私は無二に信玄様をお守り申し上げて、忠節を尺すこと。
⑤この度は、ことに多くの部下を動員し、かげ日なたなく、二途に迷わず、ただひたすら戦功に励む決心でいること。
⑥家臣の者が、甲州のために悪いようなことや、臆病な意見を申しても、それらに一切同意するようなことは致さないこと。
というもので、どんな場所でも信玄様に忠節を尽して励み抜く、と誓った六か条の誓約事項である。
次に神文の形式であるが、「上梵天・帝釈・四大天王」と書き出し、冥界支配の閻魔・五道冥官(五道の衆生の罪を栽く国府の役人)、それに甲州で一宮・二官・三宮、国建・橋立明神、御岳・富士浅間社、信州で諏方上下大明神・飯縄・戸隠・熊野・伊豆・箱根・三島、八幡・天満天神など、二〇杜に近い著名な神社を挙げ、前記の誓約事項に違背したときは、これら仏神の罰を蒙るべきことを記したものである。
次に署名者七名の在所であるが、
○ 馬場小太郎信盈 ----白須村
○ 青木与兵衛尉信秀----青木村
○ 青木兵部少輔重満----青木村
○ 山寺源三昌吉 ----山寺村
○ 宮脇清三種友 ----宮脇村
○ 横手監物満俊 ----横手村
○ 柳沢壱岐守信勝 ----柳沢村
とみてよいであろう。(山寺昌吉は、のちに武田郷鍋山村に移った)