武田信玄の治水

武田信玄の治水
天文十年(一五四一)武田晴信(信玄)は父信虎を駿河に追放して甲斐の国主となった。その前年の天文九年に大暴風雨があり、十一年秋には釜無川の大洪水のため、甲斐一円は泥海と化し、田畑・人畜の被害は目を覆う惨状であった。
信玄はこの点に着目し、普請奉行に命じて釜無川の激流が洪水の時、どのように甲府盆地を襲うのかを研究させ、その原因が本流の釜無川だけにあるのではなく、支流の御勅使川にあることをつきとめた。