2013-02-27から1日間の記事一覧
<武川村の昭和時代>武川村の近世 資料、武川村の自然環境(『武川村誌』) 新富、武里村が誕生してより五八年経過した。時あたかも昭和の初期になっていたがこの時期というのは、アメリカやその他の国の不況がわが国におし寄せて不況のどん底にあった。そ…
<武川村の昭和時代>武川村の近世 資料、武川村の自然環境(『武川村誌』) 新富、武里村が誕生してより五八年経過した。時あたかも昭和の初期になっていたがこの時期というのは、アメリカやその他の国の不況がわが国におし寄せて不況のどん底にあった。そ…
<村支配>武川村の近世 資料、武川村の自然環境(『武川村誌』) 村支配の行政機構は名主(庄屋といった時もある)、長百姓、百姓代、(五人組)組頭によって行われたが重要な項目については惣村中より連印を取った。名主の交替は八月で一年ずつ勤めたが再…
武川村の近世 資料、武川村の自然環境(『武川村誌』) <慶長検地> 慶長六年(一六〇一)二月平岩主計頭親書が甲府城代となり前後十余年間にわたって在住し、徳川氏が領民の支持を得て支配体制の基礎を確立するために貢献した。 まず、国奉行大久保長安が…
武川村の中世 甲斐源氏 資料、武川村の自然環境(『武川村誌』) 律令制の時代の又配関係は、中央政府より派遣される守、介、操、目の四等官によって、租・庸・調という租税を収めるというのが基本であったが、徐々に荘園制へと移行して行った。その中で特に…
<武川村の遺跡調査>資料、武川村の自然環境(『武川村誌』) なお近年の圃場整備事業等などで北巨摩郡下で九世紀から十一世紀ころ集落のあった所として、境原(長坂町秋田)大豆生田(須玉町)上平出(小淵沢町)などが発見されているが、本村でも三吹地区…
武川村の古代 資料、武川村の自然環境(『武川村誌』) <真衣郷> 文献史料の残っている、奈良、平安時代になると、律令制のもと本村の地域は甲斐国巨麻郡に属し、『和名抄』に見える真衣郷の地だといわれている。七~八世紀における甲斐国の代表的な牧場地…
<武川村の植物分布> 本村は植物分布からみると、暖帯と温帯に移る境から始まり、垂直的に亜寒帯、寒帯にわたり広い範囲に植物分布をもち種類が多い。 温帯は本村では急峻な山岳地帯を除いた標高八〇〇メートル以下がこの区分の中に入り、落葉広葉樹が広く…
<武川村と地震> 本村の西側を糸魚川―静岡構造線が、東側を富士八ヶ岳構造線の二本の活断層が走っており、活断層は震央につながると考えられている。近年東海大地震の発生説が唱えられ、大被害が予想される地域として、昭和五十四年八月七日、地震防災強化…
<武川村の観光資源> 本村は観光資源に富み、四季おりおり美しい景観を呈している。落差一二一メートル、東日本随一の名滝「精進ケ滝」、水量豊富で豪快な「赤薙ノ滝」、日本一の桜の巨樹、山高の「神代桜」と、その樹容鶴の舞いあがる姿に似た萬休院のアカ…
<武川村の霜> 春の晩霜、秋の早霜は、桑、果樹、野菜など農作物に及ぼす影響は大きく、また、気温の春の急上昇と秋の急下降とは農作業期間の短縮を余儀なく迫られている。