2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

白州町諏上教来石訪神社の鰐口 町指定文化財 工芸

白州町諏上教来石訪神社の鰐口 町指定文化財 工芸 昭和四八・一二・一 指定 山口諏訪杜で珍蔵する社宝の鰐口は、かって、同社拝殿の軒に懸けて参詣の際打ち鳴らしたものである。形態は扁平で、面径は一八、八センチ。胎厚や縁厚とほどよい調和をたもつ。側面…

白州町花水 清泰寺六地蔵憧 町指定文化財 建造物

白州町花水 清泰寺六地蔵憧 町指定文化財 建造物 昭和四八・一二・一町指定 石幢は供養のための石造建築物で、大陸では古くから行われ、すでに応徳元年(一〇八四)の遺物があるという。わが国では長寛元年(一一六三)ごろからのものが拝される。その分類は形式…

白州町鳥原 石尊神社本殿並びに拝殿 町指定文化財 建造物

白州町鳥原 石尊神社本殿並びに拝殿 町指定文化財 建造物 鳥原 昭和四八・一二・一指定 大山抵命と日本武尊の二神を祀る当社の創建は、応永五年(一三九八)と伝えられ、約二百年後の文禄三年(一五九四)に再興されたのが荒廃したので、江戸末期にいたって、信…

白州町山口 諏訪神社の本殿並びに拝殿 町指定文化財 建造物

白州町山口 諏訪神社の本殿並びに拝殿 町指定文化財 建造物 上教来石 昭和四八・一二・一指定 当杜の祭神は諏訪明神と通称される建御名方命である。本殿はかっての杷趾の直前に建てられた一間社流造であるが、様式手法上、江戸初期の再建と推定される遺構で…

白州町花水 清泰寺のカヤ【白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)】

白州町花水 清泰寺のカヤ【白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)】 花水 昭和四三・二・九指定 清泰寺の石段をのぼりつめた総門の南東側にカヤの巨樹がある。根本は西が低く東はそれより○、三メートル高い。露出根回りが一〇、五メートルあり、高…

本良院の夫ツゲ【白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)】

本良院の夫ツゲ【白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)】 横手大久保幸福昭和三四・二・九指定 モチノキ科のイヌツゲで、一般には単にツゲというがツゲ科のツゲとは別種である。同家の庭に栽植された雌木で、根回り二、七メートル、それから○、六…

天然記念物 白州殿町のサクラ【白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)】

天然記念物 白州殿町のサクラ【白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)】 白須殿町 浅川公雄昭和三四・二・九指定 樹種はエドヒガンに属し、根回り六、六メートル、目通り幹囲五、Oメートル、幹の下部に空洞がある。昭和三十四年の七号台風で地上約…

白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)

白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年) 諏訪神社本殿(立川流)《山梨県指定文化財》◎建造 【白州町の文化財と史跡(「白州町誌」昭和64年)】 (付、棟札一枚、本杜拝殿再建諸色勘定帳 昭和四十三年十二月十二日指定 下教来石字宮後二二の一 下…

白州町の著名人「南十字星の下に」故古屋五郎氏著

白州町の著名人「南十字星の下に」故古屋五郎氏著 まえがき ◇本書は、昭和二十七年七月未から、翌二十八年一月まで、約半歳にわたり、当時私の経営発行していた山梨毎日新聞に連載、異常の反響を呼んだ“南九陸軍病院事件の真相"である。驚くべきこの事件は、…

釜無川(かまなしがわ)(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

釜無川(かまなしがわ)(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 富士川上流部を呼称する。甲斐駒ケ岳の付近に発源して、北東に流れる。長野県富士見以東ではほとんど糸魚川一静岡構造線に沿って流向を南東に転じ、大小の支流を合して南流し、甲府盆地にはいっ…

台ケ原宿 「白州町誌」第六節街道と村(伝馬宿と助郷)より

台ケ原宿 「白州町誌」第六節街道と村(伝馬宿と助郷)より 徳川氏が政権を掌握すると、江戸を中心に五街道を制定し宿駅を設けた。宿場は本来、公用の旅行者の貨客の輸送を円滑にすることを目的としていたが、もちろん一般旅行者も利用した。公用の旅行者と…

武川町指定山高氏代々とその墓 鳳凰山高龍寺(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆)

武川町指定山高氏代々とその墓 鳳凰山高龍寺(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆) 昭和五十三年十一月一日指定 高龍寺は山高氏の菩提寺で、境内には山高氏代々の墓がある。山高氏は祖先甲斐守信方が、山高村に封じられ初めて山高氏を称した。信方は一条義行…

武川町 中山砦(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆)

武川町 中山砦(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆) 中山は、釜無川の右岸に東西に横たわる標高八八七メートルの独立した山で、眺望は極めてよく、この山頂部に中山砦がある。 中世の煙火台を兼ねた山城で北を尾白川、南を大武川が流れる。かって武川衆とし…

「甲斐国志」(かいこくし)71巻。

「甲斐国志」(かいこくし)71巻。 松平定能編集。1814(文化11〕牢11月成立。(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 江戸幕府の甲府勤番支配であった松平伊予守定能が、幕府の内命を受けて、1806(文化3)年に編集にかかり、同11年に完成した甲斐の地誌である。…

甲斐源氏(かいげんじ〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

甲斐源氏(かいげんじ〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 清和天皇(850-880年〕を祖とする清和源氏の一流。新羅三郎源義光から出る。義光が甲斐守に任ぜられ、若神子の館に住んだというが未詳(筆註—これは不可能)。 義光の子義清は12世紀の初めころ市…

甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊)

甲斐(かい〕(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 《国名》 山梨県の古い国名。甲斐という文字は「古事記」日本書紀」「国造本紀」などに見える。同じ「日本蓄紀」「続日本紀」.などに「柯彼」「歌斐」「加比」などと文字をあてているが、読みはみな「かひ…

北杜市 ほくとガイドブック

ほくとガイドブック 北杜市は、3つの国立・国定公園を有し、ハヶ岳や南アルプスなど日本を代表とする山々に囲まれた全国有数の美しい山岳景観を誇る地域で、日本一のミネラルウォーター生産量を誇り、環境省の「名水百選」を3箇所有する全国唯-の市です。…

武田家没落 勝頼哀話 天正十年武田勝頼・武田信勝・武田信豊の首級

勝頼の首級、甲府へ ◇信長 勝頼の首は直ちに信長の本営に送られる 3月13日 松平家忠、穴山信君へ人馬を返還。〔家忠日記〕 3月14日 織田信長、信濃国伊那郡波合に着陣。 松平家忠、甲斐国甲府善光寺を見物。〔家忠日記〕 家忠、善光寺を見学する〔家忠…

◆武田家誅殺された人々〔甲州安見記〕天正十年

◆武田家誅殺された人々〔甲州安見記〕 甲府立石 武田道連軒信綱 蕃山十郎信貞 武田上野介信龍 甲州市川 一条右衛門大夫信就 府中善光寺 小山田兵右衛尉信茂信茂子八歳 武田左衛門信光詣鮒子 小山田八左衛門行村 小菅五郎兵衛 朝比奈兵衛大夫信直(駿河守の子…

天正十年織田信長甲斐武将成敗 ◆甲陽軍鑑品第五八

◆甲陽軍鑑品第五八 信長甲府へ御着あり春中より計策の廻文越給ふ。 武田の家の侍大将衆、皆御礼を申せと有てふれらるゝ。 其二月末、三月始時分に、むたと信長父子の文をこし給ふに、 或は甲州一国をくれべき、信濃半国をくれ候はん、あるいは駿河をくれべき…

天正十年 武田家滅亡その時甲斐武将は、武川衆は 成敗された人々

〔武田滅亡〕 3月11日 徳川家康・穴山信君、甲斐国甲府の織田信忠を訪問。 武田勝頼・武田信勝、天目山の戦で織田軍に敗北。田野に於いて一族・郎党と共に自刃。長坂光堅らも殉ず。 武田勝頼、甲斐国天目山にて敗北・自刃。〔理慶尼記〕 信濃国高遠城以下…

〔天正十年(1582)家康発給、『武川次衆定置注文』(『武川村誌』)〕

〔天正十年(1582)家康発給、『武川次衆定置注文』(『武川村誌』)〕 曽雌藤助 米倉加左衛門尉 入戸野又兵衛 秋山但馬守 秋山内匠助 秋山織部佑 秋山宮内助 功刀弥右衛門尉 戸島藤七郎 小沢善大夫 小沢甚五兵衛 小沢縫右衛門尉 小沢與左衛門尉 金丸善…

〔天正十年(1582)武川衆への家康感状(『武川村誌』)〕

〔天正十年(1582)武川衆への家康感状(『武川村誌』)〕 七月十五日 米倉忠継 折井次昌 八月十六日 青木信時 柳沢信俊(柳沢吉保の祖父) 八月十七日 折井次昌 名執清三 九月一日 山本忠房 九月七日 折井次忠 小沢善大夫 米倉信継 米倉豊継 米倉定継 …

慶長12年(1607)甲府城番武川十二騎(『武川村誌』)

慶長12年(1607) 甲府城番武川十二騎(『武川村誌』) 山高孫兵衛親重 馬場民部信成 青木与兵衛信安 米倉丹後守信継 知見寺越前守盛之 折井仁左衛門次吉 入戸野又兵衛門光 山寺甚左衛門信光 柳沢三左衛門 曲渕筑後守吉清 小尾彦左衛門重正 跡部十郎左…

慶長9年(1604)武川衆御重恩の覚え(『柳沢氏の研究』)

慶長9年(1604) 武川衆御重恩の覚え(『柳沢氏の研究』) 百二十石 柳沢兵部丞信俊 百十八石八斗 伊藤三右衛門尉重次 八十石 曲渕勝左衛門尉正吉 五十六石四斗弐升 曽根孫作 八十六石 曽雌民部定政 六十石 折井九郎三郎次吉 九十石 折井長治郎次正 百…

栁澤家&武川衆の動き天正18年(1590)武川衆二十四士重恩之惣目録

天正18年(1590) 武川衆二十四士重恩之惣目録 〔武川衆…『武川村誌』「資料編」第一章 中世〕 天正十八年(1590) 正月二十七日 馬場勘五郎 曲渕玄長 青木尾張守 青木弥三左衛門 横田源七郎 米倉左大夫 米倉彦次郎 米倉加左衛門 米倉彦大夫 曲渕…

心と自然のふるさと 藪の湯みはらしの御案内

http://blogs.yahoo.co.jp/miharasi2011/413715.html

武川町の歴史【牧原村(まぎのはらむら)】現、武川村牧原

武川町の歴史【牧原村(まぎのはらむら)】現、武川村牧原 (『山梨県の地名』日本歴史地名大系19 平凡社 一部加筆) 釜無川の支流大武川の扇状地上に位置し、北に大武川、東に釜無川、南に小武川が流れ、馬の放牧に適しかつ要害の地である。地元では「ま…

武川町の歴史【武川町黒沢村(くろさわむら)】現、武川村黒沢

武川町の歴史【武川町黒沢村(くろさわむら)】現、武川村黒沢 (『山梨県の地名』日本歴史地名大系19 平凡社 一部加筆) 鳳凰山の支脈、通称小物成山麓の大武川段丘上に位置する。南の黒沢川の谷と台地との境界線に沿い、南面傾斜地を利用した日当りのよ…

武川町の歴史【武川町実相寺(じっそうじ)・神代桜】現、武川村山高

武川町の歴史【武川町実相寺(じっそうじ)・神代桜】現、武川村山高 (『山梨県の地名』日本歴史地名大系19 平凡社 一部加筆) 東流する黒沢川と大武川に挟まれた地にある。大津山と号し、日蓮宗。本尊十界勧請曼荼羅。もとは山高の大津にあった真言宗の…